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第3章 彼にキスされる

(キャサリン視点)

頭の中が一瞬で真っ白になり、私は反射的にぎゅっと目をつぶった。

本当に、キスするつもり?

早鐘を打つ鼓動の向こうで、温かな吐息がもう唇の端をかすめているのがわかる。頂点に立つアルファの圧に、全身から力が抜けていく。

けれど、来るはずの荒々しいキスは、いつまで経っても落ちてこなかった。

「ふっ……」

すぐ目の前で、低く意地の悪い笑い声がこぼれた。

驚いて目を開けると、クラウスはもう体を起こし、私との間に距離を取っていた。

片腕をハンドルに預け、深い青の瞳にからかうような笑みをたたえている。

「何を固くなってる?」長い指でハンドルをとんとんと叩きながら、クラウスは気のない調子で言った。「ほんの冗談だ。うちの新任のシャドウのルナが、ここまでからかい甲斐があるとは思わなかったがな」

彼は少し間を置いた。その声に、たぶん本人も気づいていない、甘やかすような響きが混じる。「怖がるな。慣れるまで、ちゃんと時間はやる」

そこでやっと気づく。わざとだったんだ!

喉元までせり上がっていた心臓が、やっと胸の中に戻ってくる。私は長々と息を吐いた。

けれど安堵の陰で、自分でも説明のつかない小さな落胆が、胸の奥にひとりでににじみ出てきた。

小さい頃から帰る家のなかった私は、ずっと夢見ていた。本当に自分だけの番がいて、互いに何ひとつ隠さず、誰よりも近くにいられる日を。

なのに現実は、三年愛した婚約者に、結婚式の場で捨てられた。

そして今、隣にいるこの男も、私と契りを結んだのは好きだからじゃない。おそらく、デリックに報復して恥をかかせるためでしかないのだろう。

私たちには、たしかに時間が必要だ。

うつむいて気持ちを落ち着けていると、握りしめていたスマホが短く震えた。

画面が明るくなる。通知をオンにしていたカーミラのアカウントの、新着投稿だった。

ひと目見ただけで、さっきまでのささやかな落胆は跡形もなく消え、代わりに冷えきった感覚が、じわじわと胸に広がっていった。

カーミラは、写真を九枚まとめて投稿していた。

写真の中の彼女は、病院のVIP病室のベッドに弱々しく横たわっている。そのそばに座ったデリックが、いかにも心配そうな顔で、自らスプーンを運んでお粥を食べさせていた。さらには、デリックが彼女の手を取って自分の頬に当てている、アップの一枚まであった。

添えられていたのは、清純ぶった甘ったるい一文だ。

「どんなに体がつらくても、目を開けたとき、そばにいてくれるなら、それだけで全部報われる。 お兄ちゃんに出会えたことが、私の人生でいちばんの幸せです」

コメント欄は、とっくにお祭り騒ぎになっていた。

「わあ! アルファ様、優しすぎ! カーミラさんとアルファ様って、どう見てもお似合いのカップルじゃん!」

「ほんとそれ。あの二人、とっくにくっつくべきだったんだよ。キャサリンなんて何様? 狼も宿してない出来損ないのくせに、笑わせる」

「百ドル賭けてもいい。キャサリン、今回もまた大騒ぎしてごねるだろうけど、結局はおとなしく頭を下げて謝るに決まってる」

「乗った! 三日ももたないに一票!」

「三日? 買いかぶりすぎ。一日もたたずに、泣いてアルファ様に許しを乞いに来るって!」

コメント欄が嘲笑で埋め尽くされた頃合いを見計らったように、カーミラ本人が返信を書き込んだ。

「みんな、そんなこと言わないで。お兄ちゃんの本当の番はキャサリンお姉さんで、ブラッドムーンの未来のルナなんだから。 お兄ちゃんは、病気の私を心配してくれてるだけなの。お姉さんのことは絶対に責めないで。全部、私が悪いの……」

一歩引いてみせるそのあざとい言葉に、みんなの怒りはますます燃え上がった。

誰もが私をみじめで哀れな女だと罵り、デリックの心にカーミラしかいないなんて周知の事実だ、と書き立てた。

画面の中の、情のこもったデリックの横顔を見ていると、胃がひっくり返りそうなほどの吐き気がこみ上げてきた。

以前の私なら、きっと悔しくて泣いていた。取り乱してデリックに電話をかけ、問いただし――そして、もっと冷たい非難と嫌悪を浴びせられていた。

最後には、彼を失いたくない一心で、悔しさを全部飲み込んで、みじめに折れるしかなかった。

でも今は、このおなじみの筋書きが、ただただ滑稽にしか思えない。

よかった。私はやっと、完全に目が覚めたのだ。

私は無表情のまま画面をスクロールし、怒りも涙もなく、ごく静かに「いいね」を押した。

それから、コメント欄に一行だけ打ち込む。「末永くお幸せに。一日も早く結ばれますように」

送信完了。

数秒も経たないうちにスマホがブーッと震え、デリック専用の着信音が、まるで死神の呼び声のように鳴りだした。

画面に点滅する名前を見て、私は一瞬固まり、思わず運転席のクラウスに目をやった。

クラウスも私の視線に気づいたらしい。わずかに顔をこちらへ向け、深い青の瞳に鋭い光をひらめかせて、眉を上げた。「どうした? 出ないのか?」

「デリックからなの」 私はまっすぐに彼を見て、スマホの画面を向けてみせた。「今は、あなたが私の番でしょう。だから、まずあなたに断っておくのが筋だと思って」

その言葉に、クラウスは目に見えて機嫌を直した。

瞳の奥にあった危うい凶暴さがふっと消え、彼はけだるげにシートへ背を預けた。長い脚を組み、どうでもよさそうに顎をしゃくる。

「出ろ。 スピーカーにしてな」

私はうなずき、通話ボタンとスピーカーを押した。

つながった途端、デリックの怒鳴り声が、スピーカーから叩きつけるように飛び出してきた。

「キャサリン! さっきコメント欄に書いたあれは、いったいなんのつもりだ?! お前のその当てこすりのせいで、カーミラが矢面に立たされてるのがわからないのか?! 周りがあいつをどう見ると思う? 人の仲を裂いた泥棒猫だと思われるんだぞ!」

「今日、礼拝堂でお前が騒がなかったから、やっと聞き分けがよくなったと思ってたのに。まだそうやって、陰でこそこそ小細工するのが好きなんだな!」

「心底がっかりだ! これは命令だ。今すぐコメントを消せ。それから、カーミラへの謝罪文を公開しろ! さもないと、俺たちの結婚式なんか、もう二度と挙げる必要はない!」

デリックの声は高圧的で、恩着せがましさと脅しに満ちていた。

以前の私なら、結婚式をやめるなんて言われた瞬間、おろおろと何度も謝っていただろう。本当に捨てられるのが怖くて。

でも今の私は、彼がわめき終えるのを静かに聞いてから、淡々とひと言だけ返した。

「いいわよ」

電話の向こうが、一瞬で死んだように静まり返った。

たっぷり五秒経ってから、デリックはようやく声を取り戻した。信じられない、という響きしかない。

「……なんだって? キャサリン、自分が何を言ってるのかわかってるのか?!」

「わかってるわよ」 私は助手席の背もたれに体を預け、抑揚のない声で続けた。「いいって言ったの。結婚式は、挙げる必要なんてない」

「キャサリン! 駆け引きのつもりか、ふざけるな!」

デリックは逆上していた。自分の威厳をひどく踏みにじられたとでもいうように。「俺が本気でやらないとでも思ってるのか?! 言っておくがな、お前は狼も宿してない役立たずだ! 俺以外に、お前なんかと番になろうって奴は、人狼の世界のどこにもいない! このまま意地を張り続けてみろ、あとで泣いてひざまずいて頼んできても知らないからな!」

「後悔なんてしない」

私は小さく笑って、いつまでも続きそうな彼の吠え声をばっさりと遮った。

「それとデリック、ひとつ訂正しておくわね。 新しい番なら、もう見つけたの。ついさっき」

「でたらめを言うな! そんな嘘でかまをかけようったって無駄だ!」 デリックは電話の向こうで鼻で笑った。確信と嘲りしかない声だった。「番の契りの痛みすら感じられないような欠陥品を、 誰が欲しがるっていうんだ?!」

急に、何もかもがつまらなく思えてきた。

こんな自信過剰な男とひと言でも多く話すのは、時間の無駄でしかない。

「信じるかどうかはご自由に。とにかく、私たちはもう別れたの」 私は声を冷ややかに落とし、目の端で隣のクラウスをちらりと見た。「それに、これ以上続けたら、今の番の機嫌が悪くなるから」

そう言い終えると、デリックにひと言も口を挟ませず、通話を切った。

着信拒否。

連絡先から削除。

ここまで、ひと息だった。

すべて終えてスマホをバッグに放り込み、私は深く息を吐き出した。三年間ずっと胸にのしかかっていた大岩が、ついに粉々に砕け散った気がした。

「ずいぶん思い切りがいいな」

そばで一部始終を黙って見ていたクラウスが、読めない光を瞳に宿して言う。「そこまでして、本当に後悔しないのか?」

私は彼のほうを向き、まっすぐにその目を見つめた。「デリックとは、もう終わったの。今日から私は、新しい人生を始める」

クラウスは私をじっと見つめ返したが、それ以上は何も言わなかった。

前に向き直り、節の目立つ大きな手を、再びハンドルに置く。

けれど――車内の明かりが暗すぎて、錯覚しただけかもしれない。

SUVが走り出したその瞬間、ちらりと見えた気がしたのだ。冷酷非情で血に飢えていると噂される、このシャドウのアルファの……

いつもは固く引き結ばれているその口元が、ひどく楽しげに、そして驚くほど優しく、ふっとほころぶのが。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全55章

  1. 第1章チャプター 1 七度目の結婚式、私は彼の宿敵に嫁ぐと決めた
  2. 第2章チャプター 2 彼は本当に来た
  3. 第3章第3章 彼にキスされる

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