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チャプター 2
降りしきる雨の中、桜歌音は事故を起こしたマイバッハに駆け寄った。彼女は、自分の服が泥で汚れても全く気にしませんでした。今はただ、中にいる人を助けなければという思いだけが彼女を突き動かしていた。 運転席のエアバッグは展開し、運転手はぐったりと意識を失っている。桜歌音は後部座席に目をやったが、ドアが衝撃で歪んでおり、力任せに引いてみてもびくともしない。 彼女は周囲を見渡して何か固いものを探し、近くに工事現場から転がってきたらしい鉄パイプが落ちているのを見つけると、それを拾い上げてドアの隙間に差し込み、テコの原理を使って渾身の力でこじ開けた。 バキンという鈍い音を立ててドアが開き、中にいた男性の姿が目に飛び込んでくる。 高級なスーツを着た長身の男性は、額から血を流してぐったりとしているが、まだ息はあった。桜歌音は看護学生だった頃の知識を必死で思い出しながら、まず気道を確保するために男性の顎にそっと手をかけ、頭を少し後ろに傾けた。 整った顔立ちが苦痛に歪んでいるのを認めながら、次は止血だと、彼女は躊躇なく自分のウェディングドレスのベールを引きちぎり、純白の布を彼の額の傷口に強く押し当てた。 ールは彼の血で瞬く間に赤く染まっていく。 「大丈夫ですか、しっかりしてください」と力強く呼びかけると、男性が微かに呻き、ゆっくりと目を開けた。 その深く暗い瞳が、雨と血と泥にまみれた桜歌音の姿を焦点の合わない目で捉えている。彼は何かを言おうとしたが声にならず、再び意識を失いかけた。 その時、一台の黒いセダンが猛スピードで現場に到着し、車から飛び出してきたスーツ姿の男性は後部座席の男性を見るなり顔色を変えた。 「成一郎様!しっかりしてください!」と秘書らしき男が叫ぶ。 「成一郎」という名前に桜歌音はどこか聞き覚えがあるような気がしたが、今はどうしても思い出せない。 遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる中、秘書の男は桜歌音の的確な応急処置を見て一瞬驚きの表情を浮かべると、すぐに深く頭を下げた。 「ありがとうございます。あなたが?」 「通りかかっただけです」と桜歌音は短く答えた。 救急隊が到着し、迅速に男性をストレッチャーに乗せていく。秘書の男は救急車に同乗する前に桜歌音に振り返り、一枚の名刺を差し出した。 「狩野グループ秘書の加藤と申します。 後日、必ずお礼をさせてください」。 「狩野」という姓を聞いて、桜歌音の心臓が凍りついた。 まさか、翔太の——。 加藤が救急車に乗り込む直前、中の担架に目をやり、隊員に叫んだ。「狩野成一郎様を頼みます!」 狩野成一郎。 その名前を、桜歌音は何度も聞かされていた。翔太の叔父であり、巨大な狩野グループを支配する冷徹な当主。 自分が助けたのが、婚約者の最大の権力者である叔父だったという事実に、彼女は愕然とする。運命のあまりにも残酷な悪戯だった。 雨の中、救急車が去っていくのを桜歌音は呆然と見送り、その手には加藤から渡された名刺が強く握りしめられていた。
章一覧
全110章
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