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第2章 ジュエリーボックスの金の肉球ブレスレット

代官山の高級マンションへ戻ると、部屋の中には高価なディフューザーの甘い香りと、息が詰まるほどの冷気が充満していた。

ここは四年前、智史の会社が軌道に乗った際に二人で暮らし始めた部屋だ。

佳穂は主寝室のドレッサーへ向かい、最下段の引き出しの奥からベルベット張りのジュエリーボックスを取り出した。

蓋を開けると、この八年間で智史から贈られた記念の品々が整然と並んでいる。

佳穂は五年目の記念日にもらった十八金の肉球ブレスレットを、指先で静かにつまみ上げた。小さな安アパートで創業の苦しみに喘いでいた頃、智史が膝をつき、「佳穂、会社を上場させたら、絶対に最高級のダイヤを指にはめてやるからな」と涙ぐみながら渡してきたものだ。

今や時価総額数百億円に達した笠井物産の社長は、そのモチーフを愛人の首輪に変えて、満足している。

佳穂は手の中でブレスレットを握りしめることもなく、足元に広げた黒い不燃ごみ用のごみ袋の中へと無造作に落とした。

チャリン、と乾いた金属音が虚ろに響く。心拍はひとつも乱れなかった。

そのとき、スマートフォンの着信音が鳴った。所属する大手総合法律事務所のシニアパートナーからの連絡だった。

『柿崎先生、今夜の事務所設立記念パーティー、予定通り出席できるかね?』

「はい。定刻通りに伺います」

通話を終えた佳穂は、深緑色のタイトなカシュクールドレスに着替え、長い髪を夜会巻きに結い上げた。

午後六時半、銀座六丁目の高級料亭。

広間の引き戸を開けると、法曹界の重鎮やエリート弁護士たちが談笑していた。そして主賓席の最前列には、大口クライアントとして招かれた笠井智史の姿があった。

それだけではない。部外者であるはずの竹之内莉実が、当然のような顔をして智史の隣に座っていた。

智史は銀のスプーンで宇治抹茶のムースをすくい、莉実の口元へと運んでいる。

莉実は甘えるようにそれを受け、周囲の若手弁護士たちは気まずそうに視線を泳がせていた。

佳穂は動じることなく空席へ進み、所長へ大吟醸のグラスを掲げて会釈を交わした。その視線は、智史の存在を完全に空気として処理していた。

宴も中盤に差し掛かった頃、佳穂は化粧直しのため席を立った。

檜の廊下を歩いていると、背後から軽薄な足音が追いかけてくる。

パウダールームの鏡の前でリップを直していると、莉実が隣に立ち、わざとらしく右手を上げて髪を払った。

その手首には、繊細な透かし彫りのチューリップをあしらったプラチナブレスレットが輝いている。

それは佳穂が三日三晩徹夜してデザイン画を描き起こし、三十歳の誕生日に職人へオーダーするはずだった特注品だった。

莉実は毒を含んだ笑みを浮かべ、鏡越しに佳穂を覗き込む。

「柿崎先生、このチューリップのブレスレット、素敵でしょう? 智史さんが『こんな可憐な花はお前だけに似合う』って特注してくださったの」

佳穂はペーパータオルで指先の水滴を丁寧に拭き取り、冷ややかな視線を向けた。

「盗作のデザインを身につけた偽物には、確かによくお似合いね」

莉実の表情が一変し、整えられた爪が掌に深く食い込む。

「強がりはやめて! 智史さんはもうあなたを愛してないの。毎晩ベッドで彼が抱きしめているのは私よ!」

佳穂は丸めたペーパーをごみ箱へ正確に投げ入れ、見下すように言い放った。

「他人の粗大ごみを拾い集めるのが趣味なら、しっかり鎖をつけておきなさい。私の職場まで連れてきて吠えさせないで」

「なっ……!」

廊下へ出ると、喫煙スペースの陰から、煙草を吸っている智史が姿を現した。

「莉実はまだ若いんだ。こんな公の場で恥をかかせるような真似をして楽しいのか?」

佳穂は煙を嫌うように、わずかに身を引いた。

「笠井さん、あなたが私生活でどんな汚泥に塗れようと興味はありません。ですが、私の仕事場にまでそのゴミを持ち込まないでいただけますか」

「笠井さんだと?! 八年も一緒にいて、今さら澄ました顔で他人行儀にするな!」

智史が苛立ちを露わにして一歩詰め寄る。

佳穂は冷然とバッグのファスナーを開け、小さなベルベットの巾着を取り出した。中に入っているのは、職人がサイズ確認のために事前に届けていた、チューリップの銀の試作品だった。

智史の目の前で、佳穂はその巾着ごと喫煙所の金属製スタンド灰皿の底へと躊躇なく放り込んだ。

鈍い落下音が響く。

「あなたからの施しなど、一片たりとも要りません」

背を向けて立ち去る佳穂の背中を、智史は顔色を失ったまま、ただ見つめるしかなかった。

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読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全66章

  1. 第1章第1章 帝国ホテルの解約通知と首輪
  2. 第2章第2章 ジュエリーボックスの金の肉球ブレスレット
  3. 第3章第3章 ドレスショップでの試着の茶番

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