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落ち着かず、傷ついた私は、かつて私の居場所だった場所へと車を走らせた。 恵比寿にあるシックなバー「アルケミスト」。蓮と出会う前に、私がバーテンダーとして名を馳せた場所だ。 グラスの触れ合う音、私とは何の関係もない会話のざわめき、そんな馴染みのある騒音が必要だった。

私はバーの隅のスツールに滑り込んだ。磨かれた木のカウンターが、手のひらにひんやりと心地よかった。

「あら、あら。誰かと思えば」

見上げると、そこにいたのは柏原沙耶だった。 彼女はバーカウンターの後ろで、安っぽく、体に合っていない制服を着て、カウンターを拭いていた。

「ここで何してるの?」 私は混乱して尋ねた。

彼女は疲れた笑みを浮かべた。 「家賃稼ぎよ。グラフィックデザインの仕事は不安定で、玲央の医療費が…大変なの」

彼女がここにいることが、まるで侵略のように感じられた。ここは私の聖域だったのに。

「クラブソーダにライムを」 私は苛立ちを押し殺して言った。

彼女は頷き、ゆっくりとした動きで私の飲み物を作った。 「あなたが誰か、知ってるわよ。というか、誰だったか。柏木依織。この街で最高のバーテンダー。蓮さんから、あなたの話を聞いたわ」

彼女の言葉はさりげないが、計算されているように感じられた。 蓮が彼女に他に何を話したかなんて知りたくなかった。ただ一人になりたかった。

「昔の話よ」 私は飲み物を一口飲んで言った。

彼女はカウンターに寄りかかり、声を潜めて共謀者のように囁いた。 「あの夜、ラスベガスで彼はとても寂しそうだった。お金目当ての浅はかな女たちにはうんざりだって。本物が欲しいって言ってた」

私はこわばった。こんな話は聞きたくない。

「彼はとても優しかった」 彼女は夢見るような目で続けた。 「私は大変な時期だったの。父が病気で。彼はただ、話を聞いてくれた。安心させてくれたの」

一言一言が、意図的にナイフをねじ込むようだった。 彼女が何をしているのか、私にはわかっていた。 彼女は、ただの酔った上での過ちではなく、深く感情的な繋がりがあったかのような絵を描いている。 私を、まるで「もう一人の女」であるかのように感じさせようとしている。

そして、それは効果を発揮していた。

抑えつけていた怒りと嫉妬が、喉元までせり上がってきた。 しかし、私は怒鳴りつけることができなかった。 なぜなら、彼女は彼の子供の母親だから。 彼女は、私が決して持つことのできない、彼に対する権利を持っている。 歪んだ形で、彼女が優先されるのだ。

痛みは、胸の中で固く、動かない塊となっていた。

私は顔を背け、ダンスフロアの点滅するライトを見つめながら、呼吸を整えようとした。

そして、彼を見た。

蓮。

彼は入り口に立って、部屋を見渡していた。私の心臓が跳ね上がった。 私を迎えに来てくれたんだ。

しかし、彼の視線は私には止まらなかった。沙耶を見つけたのだ。

彼はまっすぐ彼女に向かって歩いていった。その顔には心配の色が浮かんでいる。 ほんの数フィート先に座っている私にさえ、彼は気づかなかった。

「沙耶、ここで何してるんだ?」 彼は言った。その声は柔らかく、ここ数日、私には見せてくれなかった優しさに満ちていた。 「休んでなきゃダメだろ。玲央がお前を必要としてる」

私の心は沈んだ。彼は私のために来たのではなかった。彼女のために来たのだ。

かつて彼は、どんな人混みの中でも私を見つけることができた。 彼の目はいつも私の目を探し出し、大勢の人がいる部屋の中で、二人だけの秘密の繋がりがあった。 今、私は見えなくなっていた。

沙耶の目が私の方へちらりと動き、その奥に勝利の輝きが宿った。 その時になってようやく、蓮は彼女の視線を追い、私に気づいた。

彼は驚いたように見え、それから眉をひそめて不満げな表情になった。

「依織?こんな場所で何してるんだ?家にいるべきだろ」

その皮肉のあまりの酷さに、吐き気がした。 彼は街の半分を所有する億万長者なのに、私の世界は私たちの家の四つの壁に縮小してしまった。 しかし、彼の世界は、もう一つの家族を含むまでに拡大していた。

私は無理に、硬く、もろい笑みを浮かべた。 「昔を懐かしんでいたの」

私は傷ついた心を押し殺し、立ち上がってバーカウンターの後ろに移動した。 馴染みのある道具が、手にしっくりと馴染んだ。 「一杯、作らせて。昔みたいに」

それは私たちの儀式だった。彼を愛する、私のやり方。

彼はためらい、視線を沙耶に移した。 「無理だ。沙耶を病院に送り返さないと」

言い訳は薄っぺらかった。彼には24時間待機している運転手がいる。

私の手はシェーカーの上で止まった。 彼が私の作るカクテルだけが飲みたいと、私が彼の一番のファンだと、何度も言ってくれたことを思い出した。

「本当に、私に一杯も作らせてくれないの?」 私は小さな声で尋ねた。

「依織、今はそんな時じゃない」 彼は焦れた声で言った。 「玲央が病気なんだ。お前は休んでなきゃ」

いつも玲央のこと。いつも私の健康のこと。 まるで私が、彼が現実の生活に対処している間、棚にしまっておくべき壊れやすい人形であるかのように。

私の熱意は消え失せた。私は静かな音を立ててシェーカーを置いた。

蓮は私の失望を感じ取ったようだった。 彼は近づき、私の両肩に手を置いた。 「すまない、依織。約束する、玲央が良くなったら、旅行に行こう。二人きりで。そして、沙耶のことは俺が何とかする。彼女は俺たちの人生には入ってこない。約束する」

彼の約束は、私をなだめるためだけの、空虚な言葉のように感じられた。

私は答えなかった。

バーの向こうで、沙耶が制服から着替えていた。 彼女はこちらへ歩いてきて、その視線は蓮の私の肩にある手に止まった。 憎しみの閃光が彼女の顔をよぎったが、すぐに心配の仮面の後ろに隠された。

彼女は蓮が私を愛していることを知っていた。 しかし、そんなことは問題ではなかった。彼女には彼の息子がいる。 彼女は究極の切り札を持っていて、そして彼女が得られない唯一のもの、彼の心を持っている私を、憎んでいた。

「蓮さん、行きましょう」 彼女は切迫した声で言った。 「病院からまた電話があったの。玲央があなたに会いたがってるって」

蓮はため息をつき、私の肩から手を下ろした。 彼は一瞬、引き裂かれたように見えたが、それはほんの一瞬だった。

「そうだな」 彼は私に向き直り、再び声を和らげた。 「家に帰ってろ、依織。後で電話する」

彼は彼女と共に背を向けて歩き去り、もはや存在しない人生からの遺物である私を、そこに残していった。

私は彼らが行くのを見送った。視界が涙でぼやける。 わかっている。彼は疲れている。ストレスが溜まっている。私は彼のために言い訳をしようとした。

私はシェーカーを手に取り、彼の好きだった、複雑でスモーキーなオールド・ファッションドを作った。 バーカウンターに置くと、琥珀色の液体がライトの下で輝いた。

そして、私は店を出た。

彼は、私が作ったカクテルを、決して手つかずのままにはしないと約束していた。

今夜、それは、そのまま残されるだろう。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全17章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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