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第2章 盛大な結婚式を挙げてやる

電話を切ると、小林凛花は糸が切れたようにその場にへたり込み、虚ろな目で処置室のドアをただ見つめていた。

電話の相手は高田湊斗。凛花の父親の、年の離れた友人だったが、彼女より数歳年上なだけだ。

かつて父は、死の間際に凛花の手を強く握りしめ、こう言った。藤原雄大は信頼できる男じゃない、お前が海鳴市の湊斗に嫁いでくれなければ、安心して死ねないと。

だが、恋に目が眩んでいた当時の凛花は、父の言葉をきっぱりと拒絶。それどころか、高圧的な態度で湊斗に電話をかけたのだ。

「勘違いしないで。私には愛する人がいるの。あなたと結婚するなんて、あり得ないから!」

それでも、湊斗は怒るそぶりも見せなかった。

ただ静かに笑って、こう言っただけだ。いつか本当に困ったことがあったら、いつでも頼ってくれていい、と。

条件は、彼と結婚すること。

離婚歴があっても構わない、と。

当時の凛花にしてみれば、彼の言っていることは支離滅裂で、捨て台詞を吐いて一方的に電話を切った。

雄大さえいれば、あんな男の助けなど一生必要ない。そう思っていた。

だが今、かつてあれほど嫌悪した男が、娘の藤原莉乃を救う唯一の希望になってしまった……。

40分後、高田グループの「T」をあしらったヘリコプターが、病院屋上のヘリポートに降り立った。

白髪交じりの男性が、自ら赤血球製剤の保冷コンテナを抱え、5人の医療スタッフとともに慌ただしくヘリを降りると、処置室へ駆け込んでいった。

処置が始まってから一分一秒が永遠のように感じられ、凛花は生きた心地がしなかった。

1時間後、処置室のドアが開いた。

凛花は駆け寄り、すがるように医師の腕を掴んだ。「先生、娘は……」

「……残念ですが」

凛花が言い終える前に、医師は静かに首を振った。「海鳴市から専門医と赤血球製剤をこれほど早く手配できたのは奇跡です。ですが……あと一歩、間に合いませんでした」

凛花は呆然と一歩後ずさった。頭の中で雷が鳴り響き、思考が停止する。

「白川市で供給できるはずだった赤血球製剤と専門医が、ほかへ回されていなければ……お嬢さんは助かったはずです」

医師は悔しそうに息を吐き、凛花をまっすぐ見つめた。「……お母さん。最期のお別れを、してあげてください」

凛花は抜け殻のように、ふらふらと処置室へ足を踏み入れた。

ベッドには、莉乃の小さな体が横たわっていた。呼吸器をつけているにもかかわらず、息をするたびに、か細いお腹を必死に上下させている。

血の気を失い真っ白になった顔で、それでも莉乃は潤んだ瞳で、まっすぐに母を見つめていた。

「ママ……」

小さな娘は凛花の後ろに視線を送り、蚊の鳴くような声で尋ねた。「パパは……来てないの?」

凛花の鼻の奥がツンとし、目頭が熱くなる。

莉乃の手を固く握りしめ、声を詰まらせた。「パパは……忙しいのよ」

「また……杉本おばさんと一緒なんでしょ?」

莉乃は顔を上げ、凛花を真剣な眼差しで見つめた。声はほとんど聞こえないほどか細い。「ママ、私、もうすぐ死んじゃうって、わかってるよ」

「パパはママのことも、私のことも好きじゃない。もうパパの娘でいるの、やめたいな……」

「ママ、莉乃と一つだけ、約束してくれない?」

凛花はもう、声にならないほど泣いていた。

涙を流しながら、何度も頷く。「なあに?ママ、なんでも約束するから」

「パパと……離婚して」

娘は澄んだ、真剣な眼差しで母を見つめる。「ママ、パパが杉本おばさんにバッグを買ってあげるの、嫌。学校にお迎えに来てくれないのも、嫌。私のこと叩くのも……大嫌い。 だからママは、お花を買ってくれて、お仕事が終わったらお迎えに来てくれて、ママを叩かない人を見つけて。ね?」

凛花は一瞬、言葉を失った。やがて大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら頷く。「ええ……約束する。約束するわ、莉乃!」

「よかった……」

莉乃は懸命に微笑むと、凛花の手を弱々しく握りしめた。「ママ、莉乃はね、ママが幸せになってくれれば……それで……」

言葉の途中で、その手は凛花の手のひらから滑り落ち、だらりと垂れた。

「莉乃――!」

処置室に、母親の慟哭がいつまでも響き渡った。

3時間後、凛花は呆然とした表情で、職員から小さな骨壺を受け取った。

まだ、莉乃の温もりが残っているようだった。

凛花はその骨壺を固く抱きしめた。もう、涙は出なかった。

涙は、とうに枯れ果ててしまったようだった。

凛花が火葬場から出てくると、あの白髪混じりの中年男性が近づいてきた。彼は莉乃の骨壺に小さな花輪をそっと手向けると、通話状態のスマートフォンを凛花に差し出した。「高田様がお話したいと」

スマホを受け取ると、凛花はかすれた声で言った。「……もしもし」

凛花の心情を慮ってか、電話の向こうの男の声はひどく穏やかだった。「すまない。力になれなかった」

凛花は力なく唇の端を上げた。「そんなこと言わないで。あなたは、十分に早く手を尽くしてくれたわ……」

ーー私が、馬鹿だっただけ。

もっと早く雄大の本性を見抜いて、あの男に期待さえしなければ、まだ間に合ったのかもしれないのに……。

そう思うと、凛花は鼻をすすった。「ありがとう」

「莉乃は助からなかったけど、約束は守る。あなたと結婚するわ。でも……少し時間が欲しいの」

電話の向こうで、男がわずかに沈黙した。やがて、低い声が響く。「俺が手を貸したのは、6歳の女の子の命を救いたかっただけだ。君の約束とは関係ない」

「結婚したくないのなら、無理することはない」

「無理なんかじゃない」

凛花は目を閉じた。「5年も前の約束を、あなたが覚えていてくれた。こんな時に、これ以上ない助けをくれた。だから、私も約束は破らない」

再び短い沈黙が落ち、ややかすれた男の声が聞こえた。「今、アフリカのダイヤモンド鉱山を視察中でな。帰国できるのは半月後になる」

「その半月で、娘さんの葬儀と、今の結婚生活をきちんと片付けるといい」

「半月後、君がその決断を後悔していないのなら……」

「盛大な結婚式を挙げてやる」

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読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全126章

  1. 第1章第1章 娘をダシにするなんて
  2. 第2章第2章 盛大な結婚式を挙げてやる
  3. 第3章第3章 藤原雄大、これがあなたの娘の遺骨!

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