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病院の長い廊下を、景は彩佳の腕を支えながらゆっくりと歩いていた。 彼は意図的に沈黙を保ち、意識を集中させていた。 脳内の「声」を聞き逃さないために。 【精神科か……まあいいか】 【少しでも時間を稼いで、あの金子藍って女に会うのを先延ばしにできるなら】 【どうやってお兄ちゃんを説得しよう。ちゃんと計画を立てないと】 声は確かに彩佳の中から聞こえてくる。 しかもリアルタイムだ。 景は内心で確信を深めた。 ちょうどその時、向かいから一人の看護師が歩いてきた。 景の頭にある考えが浮かぶ。 最初の実験だ。 彼はその看護師を見つめ、心の中で意図的に思った。 (この看護師の制服は体にフィットしていて素敵だ) 彩佳は何の反応も示さない。 彼女の心は、まだ家のことでいっぱいのようだった。 【お父様の会社……今頃、三浦グループと海外プロジェクトの入札で競ってる頃よね】 【前世では、ここで最初の大損害を出したんだっけ】 景は結論を下した。 この能力は一方通行だ。 自分にしか、彩佳の心の声は聞こえない。 駐車場に着くと、運転手の小林がすでに車のドアを開けて待っていた。 彼は深々と頭を下げる。 「景坊ちゃま、お嬢様。お迎えにあがりました」 彩佳の体が無意識にこわばるのを、景は見逃さなかった。 彼女の心の中で、けたたましく警報が鳴り響いている。 【来た!この人よ!】 【見た目は忠実そうだけど、実際は毎週末、裏カジノで給料を溶かしてるギャンブル依存症!】 景は彩佳のその一瞬の硬直と、脳内に響く心の声を結びつけ、小林への疑念を確かなものにした。 車に乗り込む。 景は第二の実験を開始することにした。 彼は不意に口を開いた。 「小林。最近、家のほうは変わりないか?」 小林はバックミラー越しにちらりと景を見て、にこやかに答えた。 「はい。おかげさまで、何事もなく」 すぐさま、彩佳の内心のツッコミが炸裂する。 【何事もないわけないでしょ!嫁さんに離婚を突きつけられてるくせに!】 【先週なんて、嫁さんの結婚指輪をこっそり質に入れたじゃない!】 景の心臓がどきりと跳ねた。 情報があまりにも具体的すぎる。 彼は何気ないふりを装って、さらに核心に迫る質問を投げかけた。 「そうか。それは良かった。確か、娘さんはもうすぐ小学生に上がるんだったな。学費の準備は順調か?」 その質問は的確に小林の痛いところを突いた。 彼の顔から一瞬だけ笑みが消える。 「ええ、まあ……なんとか準備しております」 彩佳は心の中で冷たく鼻を鳴らした。 【準備?何を?長沢家の骨董品の花瓶を盗み出して、それを学費に充てる準備でしょ!】 ここまで聞いて、景はもはやこの現象を信じざるを得なかった。 彼はそれ以上何も言わず、車内は重い沈黙に包まれた。 景は彩佳の心の声が語った「脚本」や「金子藍」という言葉を反芻する。 これまで妹のわがままに辟易し、彼女の本心など真剣に考えたことはなかった。 もし、彼女の言うことがすべて真実なら。 過去の自分の冷淡な態度は、まるで悲劇への加担ではないか。 巨大な罪悪感が彼の胸にこみ上げてくる。 バックミラーに映る、彩佳の蒼白で憂いを帯びた横顔。 景は決意を固めた。 今からでも、変えなければ。 さっき、病院に行くことについて話しましたが…… 彼は、自分でさえ驚くほど優しい声で言った。 「ただの定期健康診断ですよ。心配しないでください。」 彩佳がはっとしたように顔を上げる。 【……どうしたの?兄さん、なんで急にこんなに優しいの?私の気のせいでしょうか?】 その戸惑いの声を「聞き」、景の口元に、彼自身も気づかないほどの微かな笑みが浮かんだ。 彼は病院へ行くのをやめることにした。 両親のいる実家には、今、金子藍がいるかもしれない。危険だ。 自分のマンションに連れて行こう。 「病院には寄らない。俺のマンションに行く」 景は小林にきっぱりと告げた。 小林は一瞬戸惑ったが、すぐに「かしこまりました」と答えた。 【お兄ちゃんのマンション?なんで?】 【あそこは家族でも立ち入り禁止の聖域なのに】 その心の声を聞いて、景の気分は少しだけ上向いた。 そうだ。常識を覆すんだ。 今この瞬間から、この手で妹を守る。 彼はスマートフォンを取り出し、秘書の古川に短いメッセージを送った。 『運転手・小林の身辺調査を。金の流れを重点的に。急げ。極秘で』 それを終えると、彼は彩佳のほうを向いた。 「疲れただろう。少し眠るといい。着いたら起こす」 その声は、かつてないほど優しかった。

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章一覧

全70章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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