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第3章 傲慢の代償と契約の成立

「どきなさいよ! 私が誰だか分かってるの?!」

病棟の静けさを切り裂く金切り声とともに、VIP病室の重厚なドアが乱暴に押し開けられた。

現れたのは、シャネルの最新作スーツに身を包んだ大倉愛理だった。怒りに肩を震わせ、部屋を見渡した愛理の視線が、ベッドサイドでスプーンを手にする理人と、ベッドに横たわる葵を捉えた瞬間、その瞳に憎悪の炎が燃え上がった。

「理人様……! こんなどこの馬の骨とも知れないみすぼらしい女のために、わざわざ特別フロアを使うなんて……!」

愛理は、葵のみすぼらしい身なりと焦点の定まらない瞳を一瞥し、侮蔑に歪んだ笑みを浮かべた。

「目も見えない出来損ないじゃない。理人様を騙して取り入ろうとするなんて、なんて浅ましい女かしら!」

容赦のない言葉の刃を浴びせられ、葵の顔から血の気が引いていく。掛け布団をぎゅっと握りしめ、小さく肩を震わせた。

「あの、私は……」

葵が弁解しようと口を開きかけた瞬間、理人が静かに立ち上がった。

サイドテーブルに置かれたスプーンから、カツンと硬い音が響く。

理人は葵の前に立ちはだかり、その広い背中で愛理の悪意に満ちた視線を完全に遮断した。室内の空気が、一瞬にして凍りつく。

「大倉」

理人の声は低く平坦だったが、それゆえに底知れぬ威圧感を孕んでいた。

「誰の許可を得て、ここに入った?」

「え……? 理人様、私はただ、あなたがこんな女に騙されているんじゃないかと心配で……」

理人の冷徹な眼光に気圧され、愛理は思わず半歩後退した。しかし、引くに引けないプライドが、その口を滑らせる。

「大倉家と原野グループの深い関係を考えれば、私には忠告する権利が――」

「他人の病室に土足で踏み込めと、大倉家の教育はそう教えているのか?」

理人はポケットに片手を突っ込み、愛理をゴミ屑でも見るような冷ややかな目で見下ろした。

背後に控えていた二名の黒スーツの警護員が、影のように姿を現した。

理人は葵に聞こえぬよう、警護員の一人に低く命じた。

「この女を病棟の外へ。後の件は、俺の指示を待て」

その短い言葉だけで、警護員は大倉グループとの来期案件が白紙に戻ることを悟った。だが、その意味を葵が知ることはない。

警護員は無言で頷いた。

「な……なんですって?! 離しなさいよ!」

愛理の顔から血の気が引いた。理人の低い指示の内容までは聞こえなかったが、自分が何かを決定的に失ったことだけは、本能が告げていた。

「理人様! 嘘でしょ?! たかがこんな女のために――!」

「連れて行け」

警護員が無慈悲に愛理の両腕を拘束し、そのまま引きずり出していく。廊下に響き渡る愛理の喚き声は、エレベーターの扉が閉まると同時に完全に遮断された。

病室に、再び静寂が戻る。

理人は乱れた空気を払うようにネクタイを緩め、葵へと振り返った。

「……怖がらせたな」

「いえ……あの方のおっしゃる通りです。私なんかのせいで、大事なお仕事に影響が出てしまったのでは……」

俯いて自分を責める葵の姿に、理人の胸がかすかに痛んだ。

その時、病室の扉が再び静かに開いた。

車椅子に乗った上品な老婦人――原野静子が、執事を伴って入ってきた。

「葵さん!」

静子は自ら車椅子を寄せると、ベッドの上の葵の荒れた手を、そっと両手で包み込んだ。

「ああ、本当に無事でよかった……。私の身代わりになって怪我を負わせてしまって、なんとお詫びをしたらいいか……」

「おばあさま、お怪我はありませんでしたか? ご無事で、本当によかったです」

葵が心の底から安堵したように微笑むのを見て、静子は胸を打たれたように目頭を押さえた。そして、鋭い視線を傍らに立つ孫へと向けた。

「理人」

「……何だ、祖母さん」

静子は厳格な声音で告げた。

「葵さんは、私の命を救うために光を奪われ、身寄りまで失ったのです。原野家の男として、一生をかけて彼女を守り、償いなさい。……葵さんを妻にしなさい」

「えっ……?!」

葵は雷に打たれたように固まった。

「め、滅相もありません! 私はただ当たり前のことをしただけで……そんな、結婚だなんてとんでもないことです!」

葵は激しく両手を振って辞退した。自分のような天涯孤独で盲目の身が、名家の男性の妻になるなど、決してあってはならないことだ。

葵が自分との結婚をまるで汚らわしいもののように全力で拒絶する姿を見て、理人の胸に不快感がよぎった。無意識のうちに眉間に深い皺が寄る。

葵の拒絶を聞いた静子は、突如として胸を押さえ、苦しそうに息を乱し始めた。

「うっ……胸が……。葵さんに断られてしまっては、私は申し訳なさで死んでも死にきれない……」

「おばあさま?! しっかりしてください!」

葵はパニックになり、手探りで静子を支えようと手を伸ばす。

理人は、祖母のわざとらしい演技に内心で小さく息をついた。だが同時に、この状況を利用して葵を完全に自分の庇護下に囲い込むという、冷徹な計算が脳裏をよぎる。

「……分かった。結婚する」

理人の短い承諾に、静子は瞬時に胸の痛みを忘れたかのように顔を輝かせた。

「本当ね?! 言ったわね、理人! では、すぐに手続きを進めなさい!」

静子は満足げに頷き、葵の手を軽く叩くと、執事に車椅子を押させて颯爽と病室を後にした。

残された病室に、重苦しい沈黙が落ちる。

葵は途方に暮れ、震える声で呟いた。

「あの……理人さん。おばあさまを安心させるための嘘ですよね? おばあさまの体調が落ち着いたら、すぐに解消しましょう……」

理人は無言のまま歩み寄ると、ベッドの両脇に手をつき、葵の逃げ場を塞ぐように覆いかぶさった。

葵の耳元に、低く熱を帯びた理人の吐息がかかる。

「柿崎葵、結婚を何だと思っている」

「……っ」

「お前には帰る家もなく、あの養父に捕まれば売られるだけだ。視力を治す手術費も、身を守る護衛の費用も莫大にかかる。……俺と結婚する以外に、生き延びる選択肢がお前にあるのか?」

理人の冷徹で論理的な言葉が、葵の逃げ道を完全に塞いでいく。

現実は、彼の言う通りだった。自分には力も、金も、帰るべき場所も何ひとつない。

葵は唇を強く噛み締め、長い葛藤の末に、小さく頷いた。

「……わかりました。契約させてください」

理人は満足げに身を起こした。

だが、葵はまだ知る由もなかった。自分が嫁ごうとしている男の本当の立場と、その権力がどれほど強大なものであるかを。彼女がこの衝突で察したのは、理人が只者ではないという漠然とした気配だけだった。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全69章

  1. 第1章第1章 雨の夜の袋小路
  2. 第2章第2章 雲の上の庇護と渦巻く嫉妬
  3. 第3章第3章 傲慢の代償と契約の成立

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