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彼女の言葉を聞くと、大智はそれ以上口を挟まず、自分の身分証を取り出して窓口係の前に置いた。

舞も同じようにした。

手続きのあいだ、二人は一言も交わさなかった。窓口係は何度も、これから結婚するのだと遠回しにも露骨にも念を押した。

この二人が、婚姻届を出したあとで怨み合う夫婦になっては困る。窓口係も、そんな夫婦は見たくなかった。

それでも二人の意思は揺るがず、窓口係は手順どおりに二人の婚姻手続きを進めた。

窓口係から婚姻届受理証明書を二通受け取ると、大智は一通に目を通し、それを舞に差し出した。「これは君のだ」

舞は受理証明書を受け取り、礼を言った。

二人は連れ立って外へ出た。

外に出ると、大智は立ち止まり、舞が追いつくのを待ってから、ズボンのポケットから用意していた鍵の束を取り出し、舞に差し出した。「俺が買った家は美園台にある。祖母から聞いたが、彩星中学校の門前で書店をやっているそうだな。俺の家からそう遠くない。バスなら十五分ほどで着く」

「免許は持っているか? 持っているなら車を一台用意してもいい。頭金は俺が出す。毎月のローンは君が払ってくれ。車があれば、通勤にも便利だ」

「俺は仕事が忙しく、朝早く出て帰りも遅い。出張もある。君は自分のことだけ面倒を見ていればいい。俺のことは気にしなくていい。 家の生活費は、毎月十日に給料が振り込まれたら君に送る」

「それと、面倒を避けるためにも、しばらくは結婚を公にしない」

会社で人に指示するのが身についているのか、大智は舞が口を挟む隙も与えず、矢継ぎ早に言った。

舞がスピード婚を選んだのは、姉と義兄が自分のことで言い争わずに済むように、姉の家を出たかったからだ。姉を安心させるには、結婚しかない。二人の結婚は、ただ生活を共にするためのものだ。

大智が家の鍵まで差し出してくれたので、舞は遠慮なく受け取った。

「免許はあるけど、今は車はいらないかな。普段の通勤は電動自転車だし、バッテリーを替えたばかりで、乗らないともったいないから」

「あの……斉藤さん。生活費は、割り勘にしますか?」

姉夫婦には夫婦としての情がある。それでも義兄は、姉が得をしていると思って割り勘を持ち出した。子どもの世話に買い物、料理、片付けまで、どれだけ時間がかかるのかも知らずに。 家のことをやった経験のない男は、妻が家で子どもの面倒を見たり料理をしたりするだけで、楽なものだと思いがちだ。

舞と大智はスピード婚で、今日まで顔を合わせたことすらない。割り勘にしたほうが、お互い気楽だと思った。

大智は迷うことなく、低い声で言った。「俺が君を妻に迎えた以上、君のことも、この家のことも俺が支える。割り勘にする必要はない」

舞は笑った。「じゃあ、そうさせてもらいます」

舞も、自分だけ得をして何もしないつもりはなかった。

彼の家に住み、家に必要なものは自分の金で買い足せばいい。

なにしろ、家賃が浮くのだから。

お互いに支え合い、相手を思いやらなければ、夫婦生活は続かない。

大智はまた右手で時間を確認し、舞に言った。「俺は忙しい。先に会社へ戻る。俺の車を一時的に使って帰ってもいいし、タクシーで帰るなら料金は俺が払う。祖母は弟のところへ送っていく」

「そうだ。先にLINEでつながっておこう。連絡が取りやすい」

舞はスマホを取り出し、大智とLINEを交換してから言った。「私はタクシーで帰ります。斉藤さんはお仕事に戻ってください」

「わかった。何かあれば連絡してくれ」

大智は立ち去る前に、それでも舞にタクシー代として四千円を渡した。彼がひと睨みすると、舞は反射的に受け取っていた。

婚姻届を出したばかりの二人だったが、市役所を一緒には出なかった。先に出てきたのは大智だった。

外へ出ると、大智はまっすぐ車へ戻った。

「うちの孫嫁さんはどこだい?」

祖母は大智だけが出てきたのを見て、怪訝そうに尋ねた。「二人で入ったのに、どうして一緒に出てこないんだい? まさか、あんたが気を変えたのかい? それとも舞が?」

大智はシートベルトを締めてから、自分の受理証明書を取り出し、振り返って祖母に差し出した。「婚姻届は受理された。俺は会社が忙しい。会議があるから戻らなきゃならない。舞にはタクシー代として四千円渡した。自分で帰ってもらう」

「ばあちゃん、次の交差点まで送る。あとは護衛に送らせる」

「いくら忙しくても、舞を一人で置いていくんじゃないよ。車を出すのはやめて、舞が出てくるまで待ちな。舞を送ってから仕事に行けばいい」

祖母はそう言いながら車を降りようとしたが、ドアはロックされていた。

「ばあちゃん。あんたに言われて、舞と結婚することは承知した。だが、それ以外のことに口を出すな。俺が妻を迎えた以上、これからどう暮らすかは俺が決める。 それに、舞がどんな人間かは、これから時間をかけて見極める。俺の基準を満たすまでは、本当の夫婦にはならない」

祖母は「……斉藤家の男は、離婚しないんだよ……」とこぼした。

「なら、ばあちゃんが選んだ妻が、俺の一生を懸けるに値するかどうかだな」

そう言いながら、大智は車を走らせた。

「このろくでなし! こんな夫がどこにいるんだい? 結婚したその日に新妻を置き去りにして、自分だけ車で帰るなんて!」

大智が譲るのは舞と結婚するところまでだと、祖母にもわかっていた。それ以外は自分の筋を曲げない。あまり追い詰めれば、舞を一生、名ばかりの妻にしてしまう。そんなことをすれば、舞を不幸にするだけだ。

大智は祖母の悪態を好きなだけ言わせていた。

舞が本当にいい人間なら、大智は彼女を幸せにする。だが、祖母をだまし、普段のいい人ぶりも演技だったなら、半年後に離婚するつもりだった。どうせ彼女には手を出さず、結婚を隠しておけば、離婚してからでも舞はいい相手と再婚できる。

車は十分ほど走ったところで、交差点に停まった。

そこには高級車が何台も停まっており、そのうち一台はロールス・ロイスだった。

大智が路肩に車を寄せて降りると、待っていた護衛の一人に車の鍵を放り、命じた。「大奥様をお送りしろ」

「私は帰らないよ。あんたと一緒に暮らす。孫嫁さんのそばにいるんだ」

祖母は抵抗した。

だが、かわいい長孫はすでにロールス・ロイスに乗り込み、祖母の抗議などどこ吹く風だった。

祖母はただ、大智が高級車で走り去るのを見送るしかなかった。

大智は、彩星市財界の御曹司であり、彩星市一の大富豪である斉藤家の当主でもあった。総資産は二兆円にのぼる。

「あの馬鹿孫、ほんとに容赦がないね!」

祖母は大智を罵りながら、意地悪く呟いた。「いつか舞にぞっこんになって、自分の間違いを思い知る日が来るといいね。ばあちゃんは、その日を楽しみにしてるよ」

腹を立てても大智を呼び戻せるわけではない。祖母は急いで舞に電話をかけた。舞はすでにタクシーで家へ向かっているところだった。

「舞ちゃん、大智は本当に仕事が忙しいんだ。あの子のことは、あまり気にしないでおくれ」

舞はズボンのポケットに押し込んだ受理証明書に触れながら答えた。「おばあさま、わかっています。気にしていません。謝らなくて大丈夫です。斉藤さんはタクシー代もくれましたし、いま帰りのタクシーに乗っています」

「もう夫婦になったんだから、いつまでおばあさまと呼ぶんだい?」

舞は一瞬きょとんとしたものの、すぐに「おばあちゃん」と呼び直した。

祖母は嬉しそうに返事をした。

「舞ちゃん、これからは家族だよ。大智にいじめられたら、ばあちゃんに言いな。ばあちゃんが、あの子を叱ってやるからね」

せっかく迎えた孫嫁を、孫にいじめさせるわけにはいかなかった。

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全215章

  1. 第1章第1章 ただ一緒に暮らすだけ
  2. 第2章第2章 スピード婚
  3. 第3章チャプター 3 結婚しました

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