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チャプター 2 同じベッド、遠い背中
夜が更け、みのりはベッドのそばに立って広すぎるダブルベッドを見つめている。 その大きさに戸惑った表情のみのり。 この寝室は、広すぎるほど広かった。落ち着いた色のカーテン。壁際には、男物の時計やカフスが整然と並んでいる。どこを見ても、流星がこの部屋に住んでいる気配があった。 これが、夫婦の部屋……? そう言われても、実感はまるでない。 みのりにとって流星は、まだ高校の同級生だ。遠くから眺めて、ノートの端に名前を書いては慌てて消した、ただの片思いの相手だった。 それなのに、今は同じ部屋で眠る夫だという。 「無理。絶対に無理」 小さくつぶやいた、その瞬間。 ガチャ、とドアが開いた。 流星が入ってくる。 ネクタイはすでに外され、白いシャツのボタンもいくつか開いていた。普段の隙のないスーツ姿とは違い、少しだけ乱れた襟元から、硬そうな鎖骨がのぞいている。 みのりは反射的に一歩後ずさった。 「な、な、何しに来たの」 流星は彼女の反応を不思議そうに見た。 「寝る。ここは私の部屋なんだから当然だろ」 当然のように言われ、みのりの顔が一気に熱くなる。 目の前の男は、顔だけなら腹が立つほど綺麗だった。冷たい目も、無駄のない立ち姿も、まるで雑誌から抜け出してきたように整っている。 だからこそ余計に困る。 「い、一緒にってこと!」 ど、どうしよう……私、まだ処女なのに。確かに妻ってことにはなってるけど……でも、いきなり同じベッドはさすがにハードル高すぎるよ!! 流星はその様子を見て、眉をひそめる。 流星は返事をしなかった。返事をする必要もない、という顔でベッドに向かう。 みのりは慌ててカーテンの陰に隠れた。布をぎゅっと握りしめ、身体に巻きつける。 「今日はなんか変だぞ仕事で疲れてるんだ、休ませてくれ」 流星は抱き枕を整え、ブランケットをかけると、みのりに背を向けて横になった。 みのりは、流星の静かな背中を複雑な思いで見つめた。 誰より近くにいるはずなのに、手を伸ばしても届かないほど遠い背中だった。 みのりは呆然とした。 この人なんでこんなに冷たいの一緒に寝るって言い出したのはそっちなのに、自分だけ先に寝ちゃうって何!? 「もう……大人の世界って難しすぎる!二十三歳のみのりったら、一体どうしてこんな男と結婚しちゃったの!」 小さくつぶやいても、返事はなかった。 結局、みのりはベッドの端に身体を小さく丸めて眠った。というより、目を閉じて朝を待った。 翌朝。 流星は目を覚まし、隣を見るとみのりがベッドのずいぶん端で背を向けて小さく縮こまっている。 みのりの眉がわずかに動いた。 まぶしい光で目を開けると、すぐ近くに流星の横顔があった。 通った鼻筋、そして、長いまつげ…… 流星の目を見た瞬間。 「……っ!」 みのりは反射的に身体を引いた。 「まだここにいたの」 「ここは私の部屋だ。」 昨日と同じ答え。 みのりはむっとした。 「変だと思わない今の私たち、一緒に寝るような関係じゃないでしょ」 流星はしばらく彼女を見つめ、それから短く息を吐いた。 「重症だな」 「……何が」 流星はみのりを数秒見つめてから起き上がり、背を向けてパジャマの襟を整えた。 みのりは、流星に見えていないのをいいことに、彼の背中へ向かってシャーッと威嚇するような表情をした。 流星がふいに振り向き、みのりは即座に笑顔でごまかした。 流星は無言で部屋を出ていった。 顔とお金は完璧。 けれど心は氷みたいに冷たい。 二十三歳の私は、どうしてこんな人と結婚してしまったのだろう… みのりは長い階段を下り、ダイニングへ向かった。 長いテーブルの向こうで、流星は黙々と食事をしている。窓から差し込む朝の光さえ、彼の周りだけは冷たく見えた。 朝食の席でも、空気は重かった。 執事がみのりを見て一礼する。 「奥様、おはようございます。朝食のご用意ができております」 「…朝食って、何があるんだろ」 みのりは流星の向かいに座った。みのりの前に並べられた料理は、どれも上品で美しく見えるが、今のみのりの胃はまったく受けつけてくれない。 「これ、ちょっと苦手かも……それに、なんか、あんま食欲ないわ」 思わずつぶやくと、流星の眉がわずかに寄った。 「また始まったか」 「また」 またって何。 流星は答えず、グラスに注がれた牛乳を、無造作にみのりの前へ押し出した。 「飲んで」 命令のような一言だった。 みのりは牛乳をじっと見つめる。 「私、牛乳は飲めない」 「昨日までは飲んでいただろう」 「知らない。今の私は無理」 流星の視線が冷たくなる。 またわがままを言っている。 彼の目は、そう言っていた。 みのりは唇を噛んだ。 この人、私が牛乳アレルギーなの知らないの結婚して何年も経ったはずなのに、まだ覚えてくれないって言うの!いや、知らないのではない。きっと、知ろうとしなかったの だ。 牛乳を飲もうとしないみのりを見て、流星の表情はさらに冷たくなった。 その刹那、執事が静かに入ってきた。 「流星様」 流星が顔を上げる。 「丸山紗織様がお見えです。すぐにお会いしたいとのことです」 みのりの胸が、すっと冷えた。 また、その名前。 流星は一瞬だけ黙った。 そして、席を立つ。 みのりは思わず、不満げに牛乳を流星の前へそっと押し戻す。 「言いたいことがあるならはっきり言って」 「私、席外した方がいいかな丸山さんと会うんでしょ邪魔になったら悪いし」 流星の足が止まった。 広いダイニングに、冷たい沈黙が落ちる。 その向こうで、ハイヒールの音が近づいてきた。 カツン、カツン。 まるで、この家の本当の奥様が現れる合図のように。 「流星」 甘く柔らかな声が、空気を変えた。 現れたのは、淡い色のワンピースをまとった美しい女性だった。長い髪はゆるく巻かれ、仕草のひとつひとつまで計算されているみたいに上品だ。 丸山紗織。 昨日、電話越しにみのりを「悲劇のヒロイン」と笑った女。 丸山紗織は流星のそばへ自然に歩み寄ると、心配そうに眉を下げた。 「ごめんなさい。朝から押しかけるつもりじゃなかったの。でも、みのりさんが事故に遭ったって聞いて、どうしても心配で……みのりさんはあなたの大事な奥様なんだから…。」 心配。 その言葉は優しいはずなのに、みのりの耳には少しも優しく聞こえなかった。 みのりは顔を上げて丸山紗織を見つめる。 みのりは思わず、心の中でつぶやく。 丸山さんって、愛人でしょそれが白昼堂々と家に押しかけるなんて。 丸山紗織は少し怯えたように流星の背後に身を寄せる。 「何か……私、変なこと言っちゃったかしらみのりさん、なんでそんな目で私を見るの……」 「ふふ、みのりさん、本当に無事でよかった。でも……あまり無理しないでね。あなた、少し思い込みが激しいところがあるから」 流星の顔がわずかに曇る。 紗織はすぐに、慌てたように手を胸に当てた。 「あ、ごめんなさい。責めるつもりじゃないの。ただ、流星を困らせるのは、もうやめてあげてほしくて」 みのりはゆっくり立ち上がった。 「私、もうこの場にいる必要はないよね」 流星が低く言う。 「どうして」 どうして それ、本気で聞いてる みのりは思わず笑いそうになった。 「だって、こんなに朝早くから会いに来るくらい大事な人なんでしょ」 紗織の顔から、血の気が引いたように見えた。 「私と流星は、そんな関係じゃないの……それに、全部私が悪いの。あなたが事故に遭ったって聞いて、心配で……」 みのりは出口へ向かって歩き出し、流星の横を通り過ぎる。 流星がみのりの手首を掴み、その足を止めた。 強い力だった。 「いい加減にしろ、みのり。君は私との結婚生活を、どこまで壊したいんだ」 みのりが眉をしかめ、まだ治りきっていない傷がひきつった。 袖口ににじむ血を見た瞬間、流星の表情が一変した。 「……まだ、治っていなかったのかどうして黙ってた」 みのりは流星の手を振りほどき、冷たい目で流星を見上げる。 「あなたに関係ないでしょ」 みのりの視界がぐらりと揺れ、意識を失って倒れかける。 耳元で流星の声が響いた。 「みのり!!!」
章一覧
全40章
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