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第3章 墓前に誓う偽りの愛

数日後、千雪はひとり、亡き母の墓を訪れていた。

母は千雪が幼い頃に心臓の病で他界しており、彼女にとって唯一の心の拠り所だった。

墓石を丁寧に磨き上げ、真新しい白い百合を手向ける。

「お母さん……私、離婚するわ」

静かに語りかけると、まるで堰を切ったように言葉が溢れ出した。これまでの結婚生活がすべて砂上の楼閣にすぎなかったこと。夫の裏切り。そして、この家から逃げ出す決意――。

「航のことは心配だけど、あの子のためにも私が強くならなきゃ。お母さん、見守っていてね」

涙が後から後から頬を伝い落ちていく。この世でたった一人、自分のすべてを理解してくれる存在に縋りつきたかった。

そのとき、背後から不意に声をかけられた。

「千雪……?」

驚いて振り返る。

そこに立っていたのは、光颯だった。

なぜ、彼がここにいるのか。ここは千雪の実家である朝倉家の墓地で、彼には場所を教えていないはずだった。

背筋を冷たいものが駆け抜ける。

光颯は悲痛な面持ちで千雪へと歩み寄ってきた。

「探したんだ。最近ずっと様子がおかしいから……心配で」

(尾行していたのね)

千雪は内心で冷ややかに呟いたが、表には微塵も出さなかった。

「どうして、ここが……?」

「昔、君が話してくれたのを覚えていたんだ。君のお母さんが眠る場所だって」

そう答える光颯の瞳はどこまでも真摯で、心からの心配を装っていた。

彼は千雪の前にひざまずくと、その冷たい手を強く握りしめてくる。

「頼む、千雪。俺たち、もう一度やり直せないか?」

光颯は必死になって弁明を重ねた。

「あれは本当に、一度きりの過ちだったんだ。魔が差したとしか言えない。俺には君が必要なんだ。君と航がいない人生なんて考えられない」

彼は千雪の薬指に光る結婚指輪に自らの指を重ね、その上に額を押し当てた。

何も知らなければ、胸を打つ愛の告白に聞こえただろう。だが、すべてを知っている千雪には、醜悪な茶番劇にしか見えなかった。この男は、亡き母の墓前でさえ平然と嘘を重ねるのか。

千雪は心の中で冷笑を浮かべながら、顔を伏せて小さく嗚咽を漏らすふりをした。

「私……どうしたらいいのか、わからない……」

その反応を見て、光颯は千雪の心が揺らいでいると確信したのだろう。あからさまに安堵の表情を浮かべ、千雪の体を強く抱きしめてきた。

千雪は光颯の腕の中で、きつく目を閉じる。伝わってくる体温も、吐き出される嘘も、ただただ不快で吐き気すら覚えた。

「大丈夫だ。俺が必ず君を幸せにする。もう二度と悲しませないと、君のお母さんの前で誓うよ」

光颯の囁きに、千雪はこくりとうなずいてみせた。

今はただ、この男を油断させなければならない。完璧に信じ込ませるのだ。

帰りの車中、光颯は目に見えて上機嫌だった。千雪の手を握りしめ、機嫌よく提案してくる。

「週末、気分転換に家族旅行に行こう。航も喜ぶ」

「ええ、航も喜びますね」

千雪は柔らかく微笑んだ。その笑顔は、寸分の隙もない完璧な仮面だった。

光颯は従順な態度に満足し、彼女が完全に自分の手元へ戻ってきたと信じ切っている。

窓の外を流れる景色を眺めながら、千雪は胸の中で密かにカウントダウンを続けた。

(あと、二十五日――)

屋敷に到着すると、執事が出迎えた。執事は光颯に何事かを耳打ちし、光颯はうなずいて書斎へと向かう。

千雪は、執事の視線が一瞬だけ自分に向けられ、すぐに逸らされたのを見逃さなかった。あの瞳に宿っていたのは、憐れみと……それ以外の何か。やはり、この家の人間は誰ひとりとして信用できない。

自室に戻ると、すぐにノートパソコンを開いた。そして局長へ短い報告を送信する。

「対象は私を信じ込んでいる。計画は順調」

間を置かず、返信が届いた。

「結構だ。だが情に流されるなよ」

「情など、とうの昔に枯れ果てましたよ」

千雪は冷ややかに呟き、パソコンの画面を閉じた。

クローゼットを開け、奥深くに隠してあるスーツケースに視線を落とす。誰にも気づかれないよう、少しずつ荷物をまとめていかなければならない。

そのとき、部屋のドアがノックされ、航が顔を覗かせた。

「ママ、パパと旅行に行くって本当?」

千雪は振り返り、息子に優しく微笑みかけた。

「ええ、そうよ。楽しみね」

航は一瞬だけ嬉しそうな顔を見せたものの、すぐに不安げな表情になって尋ねてきた。

「……芽依先生も、一緒に行くの?」

その無邪気な問いかけが、ようやく取り繕った偽りの平穏を容赦なく揺るがした。

千雪は言葉を失い、ただじっと息子を見つめ返すことしかできなかった。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全63章

  1. 第1章第1章 ひび割れた完璧な朝
  2. 第2章第2章 母親失格の烙印
  3. 第3章第3章 墓前に誓う偽りの愛

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