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第2章

黒木初実 POV:

謙信さんは信二さんの剣幕に押され, 戸惑った様子で私を見た. その目は, まだ何が起こっているのか理解しきれていないようだった. 彼の視線は床に散らばったガラスの破片と, 信二さんの手にある書類の間を彷徨っていた.

静子さんは, 目元を真っ赤に腫らし, 謙信さんに駆け寄った. 彼女は謙信さんの腕を掴み, 嗚咽を漏らしながら信二さんの言葉を繰り返した.

「謙信…お父様がね…初実さんが…」

静子さんの言葉は途切れ途切れで, 何を言っているのか判然としなかったが, 謙信さんの顔がさらに青ざめていくのが見て取れた.

謙信さんがようやく床に散らばった鑑定書に目を留めた. 彼はゆっくりと屈み込み, 一枚の紙を拾い上げた.

彼の表情が, その紙を見た瞬間に凍りついた.

私の心臓が締め付けられるように痛んだ. 謙信さんも, 信二さんの言うことを信じるのだろうか.

「謙信さん…」

私が声をかけようとした, その時だった.

「パァン! 」

乾いた音がリビングに響き渡った.

私の頬が熱くなり, 体がよろめいた. 静子さんが私の頬を思い切り平手打ちしたのだ.

「よくも…よくも謙信を裏切ったわね! この恩知らずが! 」

静子さんの目は狂気に満ちていた. その表情は, 普段の穏やかな義母からは想像もつかないものだった.

「私はあなたを信じていたのに! 謙信を, 黒木家を, こんな風に愚弄するなんて! 」

静子さんはさらに私を罵倒した.

信二さんもその横で声を荒げた.

「そうだ! この女は, 恩を仇で返したんだ! 今すぐ松永家に連絡して, この女の親に全ての事実をぶちまけてやる! 」

信二さんの言葉に, 私の全身が恐怖に震えた. 実家に連絡されるのは何としてでも避けたい.

「まさか, 自分だけは罰せられないとでも思っていたのか! お前の育ちの悪さが, ついに本性を現したな! 」

信二さんは私を指差して罵った.

私は熱くなった頬を抑えながら, 必死に理性を取り戻そうとした.

「私は何もしていません. 蓮は私たち二人の子です. 信じられないなら, もう一度, 私たち三人のDNA鑑定をしてください. 病院に行って, ちゃんと調べ直しましょう! 」

私の声は震えていたが, 意思は固かった.

しかし, 信二さんは私をじっと睨みつけたまま, 何も言わなかった. その目は, 私の言葉を一切受け付けない, 頑ななものだった.

静子さんがさらに声を荒げた.

「まだそんなことを言うの! 恥知らずにもほどがあるわ! もう鑑定結果は出ているでしょう! あなたは, 謙信と蓮に血の繋がりがない理由を説明できるの! ? 」

静子さんの問いかけに, 私が反論しようとした, その時だった.

「ママ…パパ…ケンシンおじいちゃん…オナカスイタ…」

リビングのドアの隙間から, 蓮の小さな声が聞こえた.

蓮は眠い目を擦りながら, 私たちの様子を窺っていた. 彼は, いつも可愛がってくれる祖父母と, 大好きなパパとママが, なぜこんなに怒鳴り合っているのか, 理解できないようだった.

蓮は信二さんの方に近づいて行こうとした.

その瞬間, 信二さんの顔がさらに歪んだ.

「来るな! お前は, 私の孫ではない! 黒木家の血は流れていないんだ! 汚らわしい! 」

信二さんは蓮を突き飛ばした.

蓮はバランスを崩し, 床に尻もちをついた. 彼は何が起こったのか分からず, ただ呆然と信二さんを見上げた.

そして, 次の瞬間, こみ上げてくる感情を抑えきれずに, 大声で泣き出した.

「うわあああああああああああん! 」

蓮の甲高い泣き声がリビングに響き渡る.

普段は優しく抱きしめてくれる祖父の突然の豹変に, 蓮は深く傷ついたようだった. 彼は私の方に駆け寄ってきて, しがみついてきた.

「ママ…ママ…ケンシンおじいちゃんが…」

蓮は私の胸元に顔を埋めて, 嗚咽を漏らした.

信二さんは蓮の泣き声にさらに苛立ったようだった.

「黙れ! この生意気な子供め! お前が泣けば泣くほど, 私たちを侮辱していることになるんだぞ! どこかの馬の骨の子が, この黒木家で泣き叫ぶな! 」

信二さんは蓮の小さな肩を掴み, 再び突き飛ばそうとした.

私は反射的に蓮を庇い, 信二さんの腕を払いのけた.

「やめてください! 子供に, 一体何をしているんですか! 」

私が叫ぶと, 信二さんは逆上した.

彼は蓮の首に手をかけ, ぐっと力を込めた.

「この子は, お前が甘やかしたせいで, こんな増長した子供になったんだ! こんな出来損ないは, ここには必要ない! お前の本当の親のところへ帰れ! 」

蓮の顔が赤くなり, 苦しそうにむせ込んだ. 私は恐怖で全身が震えた.

「蓮…蓮の顔が赤くなる! 」

私は必死に信二さんの腕を掴んだが, 信二さんはびくともしなかった.

その時, 謙信さんがハッとしたように動いた.

「お父さん! やめてください! 」

謙信さんは信二さんの腕を掴んだ.

信二さんは謙信さんに睨みつけた.

「お前は黙っていろ! この裏切り者の女に, まだ情けをかけるつもりか! 」

謙信さんはひるむことなく, 信二さんの腕を強く掴み続けた. 信二さんは諦めたように蓮の首から手を離した.

蓮は咳き込みながら, 私の腕の中で震えていた.

私は蓮を抱きしめ, 信二さんと静子さんを睨みつけた.

「謙信さん, あなたは…あなたは, 何も言わないんですか? 」

私は謙信さんに問いかけた. 彼の顔は青ざめていたが, 目の奥にはまだ困惑の色が残っているようだった.

「とにかく, 今夜はもう何も話せない. 蓮も疲れているだろうし…謙信さんが帰ってきたら, もう一度, 三人でちゃんと話しましょう. 謙信さん, お願いします. どうか, 私たちのことを信じてください…」

私は涙を堪えながら, 謙信さんに懇願した.

信二さんは私を睨みつけ, フンと鼻を鳴らすと, 自分の部屋へと戻っていった. 静子さんも, 私を一瞥すると, 信二さんの後を追うように立ち去った.

リビングには, 私と蓮, そして謙信さんだけが残された.

私は震える手で携帯を取り出し, 謙信さんにメッセージを送った.

『謙信さん, お願いです. 私のこと, 信じてください. 蓮は私たち二人の子です. 』

数分後, 返信が来た.

『今は何も考えられない. 落ち着いてから話そう. 』

その冷たい文面に, 私の胸に不ん気な予感が広がった. 謙信さんは, もう私を信じていない.

深夜.

蓮を何とか寝かしつけ, 私はリビングに向かった. 謙信さんが帰ってくるのを待っていたのだ.

玄関のドアが開く音がして, 謙信さんが入ってきた. 彼の顔はひどく疲れていて, 目が充血していた.

「謙信さん…」

私が声をかけると, 謙信さんは私を一瞥しただけで, 何も言わずにソファに座った.

「謙信さん, どうして何も言ってくれないんですか? 蓮は…蓮はあなたの子です. あの鑑定書は…何か間違いがあるはずです! 」

私は抑えきれずに感情をぶつけた.

謙信さんは私の言葉を遮るように, 冷たい視線を私に向けた. その目は, まるで他人を見るかのようだった.

私の心臓が, ひゅっと音を立てて冷え込んだ.

謙信さんは床に散らばった鑑定書には目もくれず, ただ私をじっと見つめていた. まるで, 鑑定書の内容をすでに受け入れているかのように.

その時, 信二さんと静子さんが部屋から出てきた. 彼らは謙信さんの隣に座り, 私を睨みつけた.

静子さんが謙信さんに囁いた.

「謙信, 初実さんに聞いてみなさい. 蓮のこと, 本当はどうなっているのかって」

信二さんも, 顔色を悪くしながら私を睨んだ.

部屋に重苦しい沈黙が降り注ぐ.

謙信さんはゆっくりと顔を上げ, 私を見た. その声は, どこまでも冷たく響いた.

「初実…蓮は…本当に僕の子なのか? 」