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チャプター 3 夫の正体
車の窓が下がると、そこにはどこからどう見ても完璧としか言いようのない、絶世の美貌が現れた。
——あの人だ!
川上家、現当主——川上海斗!
川上家といえば、国をも凌ぐほどの財力を誇る名家。その当主が、日々多忙を極めるはずの川上海斗が、なぜこんな場所に?
「乗れ」
その男の声は美しいのに抑揚がなく、淡々として冷たかった。
車のドアが、内側から静かに開かれた。
聞き間違いかと、愛子は思った。ドアノブを掴みかけた姿勢のまま、考えるより先に手が動いていた。ドアを押し戻し、つい営業スマイルを浮かべてしまう。「いえ、結構です。待ち合わせがあるので」
男の瞳に、ほんの一瞬、意外の色がよぎる。彼女の落ち着き払った横顔を数秒見つめてから、彼は抑揚のない声で告げた。「お前が待っているのは、俺だ」
それでも動こうとしない愛子に、男は無言で一通の書類を取り出すと、押し付けるように差し出した。その表情はどこか不機嫌で、声は変わらず冷たい。「まず、これを見ろ」
愛子は、濡れたような輝きを帯びた瞳で男の顔をじっと見てから、素直に手を伸ばして書類を受け取った。
男物の香水は苦手なはずだった。なのに、彼の身にまとったシダーウッドの香りだけは、不思議と悪くないと思ってしまう……。
気がつけば、愛子は導かれるように車に乗り込み、男の隣に腰を下ろしていた。
静かな高級車の中で、愛子は受け取ったDNA鑑定報告書を、もう何度も繰り返し読み返していた。
(私が……あの鬼塚家の、娘?)
鬼塚家——Z国でその名を知らぬ者はいない名家だ。鬼塚家が傘下に持つ「明心グループ」は国内最大手の製薬会社であり、さらに大小数多くの財団を運営し、あらゆる支援を必要とする人々に手を差し伸べている。どこかで救いの手が必要となれば、鬼塚家は常に誰よりも早く動き出す、有名な慈善企業体だ。
鬼塚家と比べたら、望月家なんて、もう話にならない!
それなのに、望月家の連中ときたら、愛子の本当の両親を「田舎者」だ何だと、せせら笑っていたのだ!
笑わせるにも、大概にしろって話だわ。
愛子はうつむいた。長く密やかなまつ毛がかすかに震え、細い指が書類を弄んでいる。指先で報告書の端をとんとんと叩きながら、しばらくの沈黙の後、ようやく車に乗り込んでから初めての言葉を発した。「……つまり、あなたが、私の本当の両親の言う“夫”ってわけ?」
もしこれが平野未来や、望月夫妻にバレたらどうなるか。「取るに足らない」田舎者が用意した夫——それが川上家の当主だったなんて。 想像しただけで、悔しさのあまり血反吐を吐くんじゃないかしら。
やや投げやりな口調と気怠そうな態度が、海斗の機嫌をわずかに損ねた。
彼が横を向くと、愛子は無造作に頬杖をつき、ぼんやりと外を眺めていた。午後の陽射しが、琥珀色の瞳の奥で細かく砕けてきらめいている。海斗は無意識のうちに薄い唇を引き結んでいた。どうやら彼女は、事前の資料から想像していたよりも、ずっと掴みどころがない。目を細め、わずかに考え込む。
ややあって、海斗は冷ややかな声で口を開いた。
「俺では、不満か」
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