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第3章 拒絶した着信とエレベーターの重圧

莉愛はティッシュを受け取って口元を拭い、激しく跳ねる心臓を無理やり抑えこむと、驚いたふりをして声を返した。

「ほ、本当なの? 社長、普段はあんなに厳しそうなのにね」

言い終わらないうちに、デスクの上のスマートフォンが不意に震え出した。画面には「和優」の二文字が表示されている。莉愛の瞳から、すっと温度が引いていった。

結衣が空気を読んで自分の席へ戻っていくのを見届け、莉愛は点滅する画面を見つめた。脳裏に、五年付き合った恋人――中西和優が、昨夜親友の平塚千佳子と街角で抱き合い、口づけを交わしていたおぞましい光景が甦る。

通話には出ず、そのまま拒否ボタンを押し込んだ。スマートフォンを伏せてデスクに置くと、深く息を吸い込み、仕事に集中しようとモニターへ向き直る。

だが、十秒も経たないうちに再び着信が震え出した。莉愛は端末を手に取ると、和優の番号を迷わずサイレント設定に切り替えた。

そのとき、パソコンのモニター右下に、LINEから友だち追加のポップアップが表示された。名前は短く、「鳥越」とだけある。

マウスを握る莉愛の手が、ぴたりと止まった。真っ黒なアイコンを見つめているだけで、胸の奥が再び不規則な早鐘を打ち始める。

下唇を強く噛み、ためらうことなく『拒否』をクリックすると、素早く通知ウィンドウを閉じた。

午前十時前、部署のグループチャットに通知が入った。デザイナー全員、秋物の企画案を持って十五階の大会議室に集合せよ、との指示だった。

莉愛はスケッチブックと分厚いクリアファイルを胸に抱え、数人の同僚とともにエレベーターホールへ向かった。

到着を知らせる電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた瞬間――それまで小声で雑談していた同僚たちが、一斉に息をのんで口をつぐんだ。さっと頭を下げ、左右に道を開ける。

莉愛が不思議に思って顔を上げると、箱の中央に立つ鳥越啓介の、底知れない黒い瞳と真正面からぶつかった。斜め後ろには、秘書の金丸だけが静かに控えている。

啓介の視線は社員たちを素通りし、まっすぐに莉愛を捉えた。そして、襟元の赤い痕を隠すために巻いたスカーフの上で、わずかに止まる。

肌が粟立つような緊張感の中、莉愛は同僚の背中に隠れるようにしてエレベーターへ乗り込んだ。一番奥の隅へと身を縮め、壁と同化するように必死で気配を消す。

扉が重々しく閉まり、密閉された空間の空気が息苦しいほど張り詰めた。静まり返った箱の中には、機械の微かな駆動音だけが響いている。

啓介がわずかに首を傾げた。鏡面仕上げの内壁越しに、隅で小さくなっている莉愛の姿を、無言のまま観察している。

その刺すような視線に気づいた莉愛は、掌にじっとりと冷や汗をかきながら、抱えたファイルの表紙に爪を深く食い込ませた。

十五階に到着し、扉が開く。啓介が最初に長い脚を踏み出し、周囲を支配していた圧倒的な威圧感が、ようやく遠ざかっていった。

莉愛は細く息を吐き出した。背中には、冷たい汗がぐっしょりと張り付いている。

社員たちが順に階段式の大会議室へ入り、年次順に席を埋めていく中、莉愛は後方の目立たない席に腰を下ろした。

デザイン部門を統括するクリエイティブディレクター、橘柊真が大股で壇上へ上がり、分厚い企画書の束を机の上に力任せに叩きつけた。重く鈍い破裂音が、広い室内に響き渡る。

会場全体が一瞬で静まり返った。業界の重鎮である彼が、どれほど短気で妥協を許さない人物か、ここにいる全員が骨身にしみて知っている。

橘は演壇に両手をつき、厳しい視線で室内を一瞥した。

「今回の秋のメイン企画、ウェイストランド風の脱構築シリーズだが――お前たちが提出してきたこのゴミの山は、一体何だ?!」

前列に座るベテランデザイナーたちが羞恥に顔を歪め、深くうつむいて視線を逸らした。

橘はマーカーを掴むと、背後のホワイトボードを甲高い音が鳴るほど強く叩いた。

「魂もなければ緊張感もない! 市場に媚びただけの凡庸な駄作ばかりだ!」

怒声を張り上げていた彼が、唐突に言葉を切った。そして、積み上げられた企画書の山から、薄いスケッチ用紙の束を一部だけ引き抜くと、高く掲げた。

「この一部だけだ。『荒廃の中の生命力』とは何かを、本当に理解しているのは!」

橘の怒号が、一段と高く響き渡る。

莉愛は見覚えのあるそのスケッチを見つめ、息をのんだ。――昨夜、残業して描き上げたばかりの自分のラフだった。

橘の鋭い眼光が人混みを正確に突き抜け、後列に座る莉愛を捉えた。

「岩本、立て」

周囲の驚きと嫉妬が入り混じった視線が一斉に突き刺さる中、莉愛はゆっくりと立ち上がり、背筋をまっすぐに伸ばした。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全20章

  1. 第1章第1章 宿酔いの赤い痕と避妊薬の罠
  2. 第2章第2章 軟膏の勘違いとマイバッハの真実
  3. 第3章第3章 拒絶した着信とエレベーターの重圧

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