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第3章 自分の妻にも気づかないなんて

篠崎詩織は息を呑み、心臓が口から飛び出しそうだった。息をすることさえ忘れてしまった。

彼は、まだチェックアウトしていなかったのか?

彼女は素早くテーブルに歩み寄り、真剣に書類を整理しているふりをした。

長身の影が部屋に入ってきた。その後ろには部下が一人付き従っている。

男の強い存在感が迫り、彼女に問いかけた。「掃除に来たのか」

詩織は深く息を吸い込み、平然を装って振り返り、小さく頷いた。

藤村駿介は黒いシャツを身につけ、その下で筋肉の線がかすかに浮かび上がっている。端正な顔立ちは冷たく硬く、有無を言わせぬ威厳を漂わせていた。

彼の視線が詩織に注がれる。その眼差しは、凍えるような夜の闇のように冷たかった。

詩織は指先を無言で握りしめた。表情は動かさないが、心の中はすでに大混乱だった。

(どうしよう!)

(気づかれるだろうか?)

しかし、駿介はただ彼女に一瞥をくれただけで、ソファへと向かった。

詩織はほっと息をついた。

どうやら昨夜のことは、気づかれていないようだ。

駿介は冷たい表情のままソファに腰を下ろし、手にしていた企画書を部下に投げつけた。「作り直せ。次に同じミスをしたら、クビだ」

「は、はい」

部下は額に冷や汗を浮かべ、震える手でそれを受け取ると、踵を返して部屋を出て行った。

詩織はテーブルのそばに立ち、心の中で思った。(かなり短気な男だな)

「水を頼む」

部屋にはもう二人きりだ。彼が呼んでいるのは、自分だった。

詩織はテーブルの上でグラスに水を注ぎながら、翡翠のお守りを彼が拾ったかもしれないと思い至り、目に一筋の光が宿った。

彼女は水を手に振り返って歩み寄ったが、不意に足元がもつれ、グラスの水が男の胸元にかかってしまった。

駿介のシャツが濡れ、険しい顔に不快感が浮かぶ。声を上げようとしたその時、女が飛びかかってきて、小さな両手が彼の体を探り始めた。

「ごめんなさい、大丈夫ですか」

詩織は濡れたシャツを軽く叩きながら、素早く彼のポケットや腰回りを探った。硬い腹筋に指が触れた瞬間、彼女の手首が力強く掴まれた。

駿介は彼女をぐいと引き寄せた。不意を突かれた詩織は、彼の胸に倒れ込んだ。

次の瞬間、大きな手が彼女の首を掴んだ。

駿介の瞳に冷たい光が走る。「俺の部屋に忍び込んで、何を企んでいる」

詩織は起き上がろうとしたが、首を掴まれて身動きが取れない。男の動作はあまりにも粗暴で、息が詰まりそうだった。

彼女の顔が真っ赤になったのを見て、彼はようやく手を離した。

詩織はよろめいて床に尻もちをつき、痛みに思わず声が漏れた。

駿介はそのかすかな声を聞き、彼女を何気なく見つめた。ふと、昨夜の女の声に似ている気がした。

昨夜は部屋の明かりをつけていなかった。彼が覚えているのは、相手が華奢で、肌が柔らかく、喘ぎ声が艶めかしかったということだけだ。

詩織は首をさすりながら立ち上がった。「誤解です。私はただ掃除に来ただけです」

駿介が何か言おうとした時、ドアがノックされた。

塩見陸がドアから入り、駿介に恭しく告げた。「社長、お呼びの方がいらっしゃいました」

駿介は詩織に一瞥をくれ、ドアの外の者を入れるよう合図した。

すぐに、陸の後ろから、清純な顔立ちの白いワンピース姿の少女が入ってきた。

詩織はそばに立ち、その少女に目をやった。彼女が駿介に向ける視線は恥じらいに満ち、首筋にはまだ生々しい痕が残っている。愛し合った後の女の顔だった。

彼は女色に興味がないという噂だったが、どうやらそれも噂に過ぎないらしい。

彼のように、誰もがうらやむ地位にいる男の周りには、女が絶えることはないのだろう。

だが、詩織はむしろ安堵した。彼の周りに女がいるのなら、昨夜のことなど、彼は気にしないに違いない。

少女が入ってきたことで、駿介が詩織に向ける視線はさらに冷たくなった。彼には悪い噂が立っているが、それでも玉の輿を狙う大胆な女は後を絶たないのだ。

彼は陸に向かって言った。「この女を追い出せ」

詩織は陸が動く前に、ドアの方へ後ずさりしながら言った。「結構です。自分で出て行きます」

そう言うと、彼女は振り返らずに素早くドアを出た。まるで逃げるように。

駿介のところに翡翠のお守りはなかった。だとすれば、他に落とした場所を改めて考え直さなければ。

こんな女たらしの男とは、一刻も早く婚約を解消したほうがいい。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全143章

  1. 第1章第1章 初対面はベッドの上で
  2. 第2章第2章 彼のところに忘れもの
  3. 第3章第3章 自分の妻にも気づかないなんて

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