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チャプター 2
翌朝、疲労と屈辱を引きずって西園寺家の玄関を潜った凛を、リビングから現れた詩織が甘ったるい声で出迎えた。 「お姉様、昨日はどこに行ってたの?みんな心配したんだから」 その瞳の奥に、隠しきれない失望と好奇の色が浮かんでいるのを、凛は見逃さなかった。 「……別に少し友人と」 嘘をつくと、胃がぎりりと痛んだ。 継母の靜子が、優雅な仕草で花瓶の水を替えながら、穏やかな声で言った。 「凛、お父様がとてもお怒りよ早く謝りに行った方がいいわ」 二人の完璧な連携プレー。まるで凛が、本当に夜遊びに耽っていた不良娘であるかのように。 凛は彼女たちの前を黙って通り過ぎ、自室のドアに手をかけた。その時、リビングから漏れ聞こえてきたひそひそ話に、足が止まる。 「ママ、どうしようあのホスト、急に連絡が取れなくなっちゃったお金だけ持ち逃げしたのかしら」 詩織の焦った声。 「落ち着きなさい失敗はしたかもしれないけれど、どのみちお父様は来週、凛を岩田様と会わせるつもりよあの子に逃げ場はないわ」 靜子の冷たい声が、凛の鼓膜を突き刺した。 岩田というのは、父親が彼女のために決めた結婚相手の男性です。彼は50 歳を超えた変態的な老人でした。家族経営の会社に問題が発生したため、岩田はその問題を解決するための資金を提供しようとしました。 そこで、父親は家族の利益のために、この結婚を受け入れることにしたのです。 やはり、すべては仕組まれていた。あの男は、詩織が雇ったホストだったのだ。そして、何らかの理由で失敗した。だが、安堵する暇もなく、岩田という男との縁談がすぐそこに迫っている。 凛は音を立てずに自室に入り、ドアに鍵をかけた。そのままドアに背を預け、ずるずると床に座り込む。指先が冷え、呼吸が浅くなる。 絶望の中で、彼女の脳裏に唯一の希望が浮かんだ。 元婚約者、中尾直哉。 1 年前、ナカオ・ナオヤは交通事故で昏睡状態に陥りました。彼女は1 年間ずっと病院で彼の世話をしました。しかし、彼が目覚めた後、自分のことを忘れてしまい、代わりにシオリのことを愛するようになりました。彼は凛を悪い女だと思っている。自分をストーカーし、妄想にふけり、妹の彼氏を奪おうとする悪女だと思い、彼女を極度に嫌っていました。 しかし、凛にはもうどうすることもできない。二人が恋に落ちた頃の中尾直哉はとても良い人だったから、彼のところに助けを求めれば、まだ何とかなるかもしれないと思ったのだ。 凛は震える手でスマートフォンを取り出し、彼の番号を呼び出した。 数回のコールの後、電話が繋がる。 「……どちら様ですか?」 礼儀正しいが、他人行儀な声。凛の胸が鋭く痛んだ。 「私……凛よ」 電話の向こうが数秒、沈黙した。そして、その沈黙を破ったのは、詩織の甘えた声だった。 「直哉お兄様、誰から?」 心が、音を立てて砕け散る。それでも凛は、最後の藁にもすがる思いで、直哉に会って話がしたいと懇願した。 「申し訳ありません、今、ちょうど詩織を迎えに来たところです。一緒に病院に行って検査を受けるつもりです。俺たちの間に、話すことなど何もないはずですが」 冷たく、無慈悲な拒絶,通話が切れる。彼女は窓辺に歩いて行くと、案の定、玄関の外で中尾直哉と詩織が親しげに車に乗り込み、去っていくのが見えた。 凛はスマートフォンを握りしめたまま、虚空を見つめた。涙さえ、もう出なかった。 助けてくれる人は、どこにもいない。 彼女は立ち上がり、鏡の前に立った。そこに映っていたのは、青白い顔で、絶望しきった女だった。 しかし、その瞳の奥で、小さな炎が燃え始めた。 誰も助けてくれないのなら、自分で自分を救うしかない。 凛はノートパソコンを開くと、日本最大の交流サイトにログインした。華やかなプロフィール写真が並ぶページを無視し、彼女はまっすぐに「掲示板」機能へと向かう。 そして、深呼吸を一つ。 前代未聞の「求人広告」を、キーボードに打ち込み始めた。 タイトル:【急募】夫一名、契約結婚、高額報酬。 本文:当方、22歳女性。家庭の事情により、一年間の契約結婚に応じてくださる男性を募集します。条件:健康、犯罪歴なし、演技力に自信があり、家族への対応に協力できる方。 報酬の欄に、彼女は自分が自由にできる全財産を打ち込んだ。 報酬:月額50万円。契約満了時に、別途500万円を支給。 これがどれほど狂った行為か、分かっている。虎の穴に自ら飛び込むようなものだ。だが、これが、あの岩田という男から逃れるための、唯一の、そして最速の方法だった。 「投稿」ボタンの上で、彼女の指が数秒間、ためらう。 昨夜の男の顔が、脳裏をよぎった。「俺と結婚しろ」。あの言葉は一体何だったのか。いや、彼も信用できない。詩織に雇われた男なのだから。 凛は目を閉じ、強く、投稿ボタンをクリックした。 画面に「投稿が完了しました」という無機質な文字が表示される。凛はそれを見つめながら、喜びも安堵もない、ただすべてを賭けたギャンブラーのような、悲壮な覚悟を胸に抱いていた。
章一覧
全130章
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