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第2章 骨に宿る灰

鷹司グループの最上階、总裁室。磨き上げられたマホガニーのデスクで、鷹司暁は分厚い書類の山に目を通していた。その傍らで、新田凛が音もなく、しかし完璧なタイミングで淹れたてのコーヒーを差し出す。その所作は、まるで長年連れ添った妻のように自然だった。 「昨夜の靜さん、少し感情的になっているようでしたわ、大丈夫かしら」 凛は、心配そうな表情を装いながら、何気ない口調で切り出した。暁は書類から目を離さず、「ああ」とだけ短く応じる。彼の関心は、そこにない。まるで、遠い国の出来事を聞いているかのようだ。 コン、コン、と控えめなノックの音。秘書が緊張した面持ちで入室した。 「社長、奥様が……一階の受付に、社長にお会いしたいと」 暁は、露骨に眉を顰めた。その表情には、明らかな不快感が浮かんでいる。 「凛、悪いが休憩室で待っていてくれ」 彼は、これから始まるであろう妻の「ヒステリー」を、凛に見せたくなかった。凛は心得たとばかりに、「ええ、わかったわ」と優雅に微笑み、静かに部屋を出ていく。その去り際に向けられた「あなたの気持ち、わかるわ」と言いたげな眼差しが、暁の苛立ちを僅かに和らげた。 入れ替わるように、靜がオフィスに入ってくる。彼女の視線が、凛が先ほどまで座っていたソファに掛けられたカシミアのショールを一瞬捉え、僅かに翳った。だが、すぐにその瞳は氷のような無表情に戻る。 彼女は一言も発さず、暁のデスクに二枚の書類を置いた。 一枚は、離婚届。 もう一枚は、火葬許可申請書。 暁は書類にちらりと目をやり、鼻で笑った。 「またその芝居か?何が望みだ、金か?」 彼の言葉は、刃物のように冷たい。靜は、自嘲の笑みを浮かべずにはいられなかった。かつてJAXAからのオファーを蹴り、彼の事業を陰で支えるために全てを捧げた。その結果が、これだ。金目当ての浅ましい女。それが、夫から見た自分の姿。 「サインを、それだけ」 靜の声は、凪いだ湖面のように平坦だった。 その感情の欠落した態度が、逆に暁の神経を逆撫でした。これもまた、自分の気を引くための新たな手口なのだろう。彼は苛立ちを隠しもせず、ペンを手に取った。 中身を確かめることさえせず、二枚の書類の署名欄に、流れるような筆跡で「鷹司暁」と書き殴る。 そして、まるで汚物でも払うかのように、書類を靜に向かって放り投げた。 「これで満足か?チーちゃんのことは残念だが、お前の嫉妬の道具にするな」 靜は、投げ返された書類を強く握りしめた。指の爪が掌に食い込み、鋭い痛みが走る。込み上げる衝動を、奥歯を噛み締めて殺した。平手打ちの一つでもくれてやりたかった。 彼は、娘の名前が書かれているはずの書類に、一瞥すらくれなかった。 「……」 靜は何も言わず、背を向けた。これ以上、この男と同じ空気を吸っていたくなかった。 彼女の無言の退場を、暁は勝利と解釈した。どうせ三日もすれば、泣きながら戻ってくるに決まっている。いつものことだ。 休憩室から凛が戻ってきた。 「話し合いは終わりました?」 「ああ、いつもの癇癪だ」 暁は吐き捨てるように言った。凛はそれ以上深くは突っ込まず、巧みに話題を変える。次の四半期に開催されるチャリティー晩餐会の話。まるで、先ほどの出来事など何もなかったかのように、オフィスは日常を取り戻した。 一方、靜はサイン済みの書類を握りしめ、そのまま車を駆って火葬場へと向かった。手続きは滞りなく進む。彼女は、職員に引き渡されるチーちゃんの小さな体を、ただじっと見つめていた。 告別室で、最後の対面をする。冷たくなった額に唇を寄せ、囁いた。 「さようなら、私の宝物」 轟音と共に、火葬炉の扉が閉ざされる。その瞬間、靜の体は激しく震えたが、声は出なかった。彼女はガラスの小窓越しに、燃え盛る炎をただ見つめていた。 心の中で、新たな誓いを立てる。 鷹司暁。あなたは今日、この紙切れにサインしたことを、血の涙を流して後悔することになる。 数時間後。 总裁室のドアが、ノックもなしに乱暴に開かれた。秘書が、血の気の引いた顔で飛び込んでくる。 「社長!大変です!奥様が……!」 「また何かあったのか」 暁はうんざりしたように遮った。 秘書は震える声で、信じられない言葉を告げた。 「奥様が……チーちゃんを……火葬しました、たった今……完了した、と」 ペンを走らせていた暁の手が、ぴたりと止まった。彼の絶対的な自信に、初めて微かな亀裂が入った。

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章一覧

全150章

  1. 第1章第1章 厳冬のレクイエム
  2. 第2章第2章 骨に宿る灰
  3. 第3章第3章 時の回帰

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