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藤巻光恵 POV:

タクシーのシートに深く沈み込み, 私は即座にスマホを取り出した. 震える指で, 両親に電話をかける.

「お父さん, お母さん. 私, 正弘さんと別れることにした」

電話口の向こうで, 両親は驚き, 困惑しているのが分かった. 無理もない. 入籍日だというのに.

「実は, 笹本晴司さんのことを考えているの」

私の言葉に, 今度は両親が沈黙した. 晴司は, 私の幼馴染で, 昔から私を密かに想ってくれていたことを, 両親は知っていた. 私と正弘の交際が決まってからは, 彼も距離を置いていたけれど.

数時間後, 実家に着くと, 両親は心配そうな顔で私を出迎えた.

「みっちゃん, 本当にそれでいいのかい? 」

父が尋ねた.

「ええ. もう, 限界だった」

私はぽつりと言った.

母は私の手を握り, 静かに頷いてくれた.

「晴司さんの方には, 父さんが連絡してみるよ. 彼はきっと喜ぶだろうね」

母のその言葉に, 胸の奥が少し温かくなる.

晴司は, 今や急成長中のIT企業のCEOだ. 幼い頃から頭が良くて, いつも私を気遣ってくれた. 海外留学で数年日本を離れていたけれど, 帰国してからも時々連絡を取り合っていた. 私と正弘が婚約した時も, 彼は「おめでとう」とだけ言って, それ以上は何も言わなかった. 彼の気持ちを, 私は知っていたから, その優しさが胸に刺さった.

もう一度, 誰かを信じられるだろうか.

正弘との関係で, 私は自分が「都合のいい女」になっていたことに気づいた. 彼の言いなりになり, 彼の家族の言いなりになり, 自分の感情を押し殺してきた.

晴司からのメッセージが, 翌日, 私のスマホに届いた.

「みっちゃん, お父さんから聞いたよ. もしよかったら, 一度会えないかな? 」

私は, すぐに返信した.

「ええ, 喜んで」

正弘との関係は, もう完全に切り離す.

彼の私物は全て段ボールに詰め, きっちりガムテープで封をした. 彼の歯ブラシも, シャンプーも, 全てゴミ箱に捨てた. 彼の匂いが残っているもの全てを, 私の空間から排除したかった.

その数日後, 萌葉のSNSが更新されているのを, 共通の友人の投稿で知った.

新しいマンションのリビングで, 高価なシャンパンを片手に微笑む萌葉.

「お兄ちゃんと同棲♡」

そんなキャプションが付けられていた.

私が心血を注いでリノベーションした, あのタワーマンション.

私たちの新居として購入したばかりのあの場所だ.

正弘が萌葉に鍵を渡したのだろう.

「萌葉が怖がっているから一時避難させる」

そう言っていた彼の言葉を思い出す.

一時避難? まるで, 私が設計した夢の城が, 彼女の遊び場になったかのようだった.

私は怒りに震えた.

私の心は, ナイフで切り裂かれたように痛んだ.

「あんた, 私を馬鹿にしてるの? 」

私は正弘にメッセージを送った.

すぐに彼から返信があった.

「何のこと? ああ, 萌葉の部屋を使わせてやったんだ. ストーカー怖いって言うからさ. みっちゃん, そんなことくらいで怒るなよ. どうせ住むのは俺たちなんだから, 少しの間くらい我慢してくれよ」

彼の言葉は, まるで私の存在そのものを否定するかのようだった.

私の心は, 燃え盛る炎のように熱くなり, 同時に冷え切った氷のように硬くなった.

「我慢? 私がどれだけ我慢してきたか, あなたは知らないでしょう? 」

指が震え, 入力する文字が乱れる.

「そんな大げさな. たかがマンションだろ? いくらでも買うよ. それより, みっちゃんが変なこと言うから, 萌葉が勘違いしてるじゃないか」

彼の言葉は, まるで熱した鉄の棒で私の心を焼くようだった.

私は, もう彼に何も期待しない. 何も与えない.

私は彼に慰謝料を請求し, マンションの権利を放棄すると告げた. それが, 私に残された最後の尊厳だった.

そして, 彼との連絡を一切絶った.

正弘は最初, 私の要求を信じなかった.

「光恵がそんなことするはずがない」

そう思っていたのだろう.

彼は, 私がいつも彼の言うことを聞き, 彼の都合のいいように動くことを当然だと思っていた.

私は, もう彼には何の未練もない.

私の心は, 深い海の底に沈んだように静かだった.

彼への連絡を絶った後, 私の世界は再び動き出した.

友人たちは, 私の突然の破談に驚き, 心配してくれた.

「みっちゃん, 大丈夫? 」「何かあったの? 」

私はただ, 「色々とね」とだけ答えた.

具体的な出来事を話す気力もなかったし, 話せば話すほど, 自分が情けなくなる気がした.

世間体も, 周囲の評判も, もうどうでもいい.

私はこれまで, 「良い女」でいようと努めてきた.

正弘の家族にも尽くし, 彼の友人たちにも愛想よく振る舞った.

だが, その結果がこれだ.

自分の価値を, 他人に委ねてしまっていた.

晴司からの連絡は, 私の荒んだ心に, 一筋の光を差し込んだ.

私は, 今度こそ, 自分を大切にしてくれる人を選びたい.

自分を, 愛してくれる人.

もう, 「都合のいい女」にはならない.

私の人生は, 私のものだ.

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全22章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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