メインコンテンツへスキップ

ロールスロイスは、広大な敷地を持つ九条家の本邸へと滑り込んだ。枯山水の白砂が敷き詰められた庭の前で、車は静かに停止する。

静がドアを開け、一歩踏み出した、その瞬間。下腹部に走った鋭い痛みで動きが止まった。砂利道に崩れ落ちそうになるのを必死で堪える。

前を歩いていた暁が立ち止まり、振り返った。その目は氷のように冷たい。手を差し伸べる気配は微塵もなかった。

静は息を吸い込み、滲む冷や汗を無視して背筋を伸ばす。暁から二歩下がった位置を保ちながら、彼の後を追った。それがこの家で妻に求められる体面だった。

長い木の回廊を渡り、灯りの灯る広間へと向かう。障子の向こうから、女たちの楽しげな笑い声が聞こえてきた。

暁が障子を開けると、室内の笑い声がぴたりと止む。主座の隣に座る姑・九条文乃が鋭い視線を静に向けた。小姑の九条玲奈は新しいエルメスのバッグを弄びながら、あからさまな嘲笑を浮かべている。

静は日本の伝統的な作法に従い、畳の上に膝をついた。両手を重ね、深く頭を下げる――土下座に近いほどの丁寧な挨拶だった。

文乃は静の挨拶を無視した。わざとらしく湯呑みを持ち上げ、ゆっくりと茶を啜る。静を冷たい畳の上で三分間も跪かせたままにした。跪く姿勢が下腹部の痛みを増幅させる。静の額にじわりと冷や汗が滲み、身体が微かに震えた。

暁はそんな妻の姿を気にも留めず、自分の席にどかりと腰を下ろす。まるでそれが当然であるかのように。

ようやく文乃が湯呑みを置いた。「遅いじゃないか。九条家の長男の嫁としての自覚が足りないんじゃないのかね」

棘のある声が静を突き刺す。「申し訳ございません」――静はか細い声で謝罪した。虚弱さから声が少し震えてしまう。それを文乃は「覇気のない声で縁起が悪い」と一蹴した。

「そういえば、お兄様。今日のニュース見ましたわ。麻美子お姉様と本当にお似合いでしたのよ」

玲奈がわざと大きな声で割り込んできた。

静は膝の上で和服の裾を強く握りしめる。爪が肉に食い込む痛みで、かろうじて平静を保っていた。

「麻美子さんは優しくて良い子だからね。それに暁の命の恩人でもある。あの子こそが九条家に相応しい嫁だわ」

文乃は娘の言葉に乗り、あからさまに麻美子を褒め称える。そしてその視線はナイフのように静へと突き刺さった。「卑しい手を使って嫁いできたくせに、三年経っても跡継ぎ一人産めない――塩漬けの土地みたいな腹をして」

跡継ぎを産めない――その言葉が静の心を粉々に砕いた。ついさっき失ったばかりの我が子のことを思い出し、呼吸が止まる。

静は無意識に暁を見た。その瞳には僅かながら懇願の色が浮かんでいた。夫に一言でいいから庇ってほしかった。しかし暁は携帯に目を落としていた。その口元には微かな笑みが浮かんでいる。麻美子とメッセージをやり取りしているのは明らかだった。

静の瞳から、最後の光が消えた。彼女は再び深く頭を垂れ、全ての屈辱と痛みを飲み込む。

「これ、麻美子お姉様が未来の甥っ子のためにって買ってくださったんですの。可愛いでしょう?」

玲奈が追い討ちをかけるように、高価なベビー服を取り出した。卵を産まない雌鶏だと、暗に罵っているのだ。

その小さな服を見た途端、静の視界がぐにゃりと歪んだ。胃の奥から吐き気が込み上げてくる。

「うっ…………」

咄嗟に口元を押さえた。嘔吐感を必死に押し殺そうとするが、身体が激しく震える。

「なんて無作法な!」

文乃がテーブルを叩いて激昂した。「長輩の前でそのような汚らわしい真似をするとは。育ちが知れるわ」

「気分が悪いなら出ていけ。座が白ける」

それまで黙っていた暁が、冷たく言い放った。

静は口の中の粘膜を強く噛む。鉄錆の味が広がった。無理矢理吐き気を飲み込み、再びか細い声で謝罪する。

その時だった。廊下から重い足音と、杖が床を打つ音が聞こえてきた。和室の空気が一瞬で張り詰める。

九条家当主――祖父の九条正臣が、執事の吉田に支えられて姿を現した。威厳に満ちた目が室内を睥睨する。全員が姿勢を正し、頭を下げた。静も虚弱な身体に鞭打ち、再び深く身を屈める。

嵐のような非難が止み、代わりに重苦しい静寂が部屋を支配した。

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

続きを読む

章一覧

全200章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

新着