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第2章 病院の廊下での略奪と冷たい視線

ホテルの外に出ると、冷たい秋雨が理歌菜の剥き出しの肌を容赦なく打った。

痛む左腕を胸元にかばいながら、震える手でタクシーを止める。

車窓を流れる雨粒を眺めながら、理歌菜はぐっと奥歯を噛み締めた。

脈打つような激痛が左腕から肩へと広がり、全身の血が引いていくのがわかる。

二年前、赤沢家の前会長の強い意向と、幼い頃からの恩義に縛られて結んだ契約結婚。

真司にとって理歌菜は、愛する瑞依を引き裂いた邪魔者であり、憎むべき契約上の妻でしかなかった。

どんなに尽くしても、どんなに耐えても、彼から返ってくるのは冷酷な言葉と暴力的なまでの無関心だけ。

病院の救急ロビーに到着し、理歌菜は片手で機械を操作して受付票を受け取った。

消毒液のツンとした匂いが鼻腔を突き、現実の惨めさをこれでもかと突きつけてくる。

外科の処置室へ向かう廊下を歩いていた時のことだった。

半開きになった特別処置室の扉の奥から、聞き覚えのある甘ったるい声が漏れ聞こえてきた。

「先生、まだ痛むんです……真司様、怖い……」

「おい、もっと丁寧に処置しろ! 瑞依が痛がっているだろうが」

真司の苛立った怒声だった。

理歌菜が思わず足を止め、隙間から中を覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。

瑞依の白く滑らかな手の甲を、老医師が困惑した表情でルーペ越しに見つめている。

「あの……赤沢社長、菱田様の手には赤みすらほとんど見られませんが……」

「ヤブ医者が! 本人が痛いと言っているんだ。最高級の軟膏を塗って包帯を巻け!」

理歌菜の唇から、乾いた自嘲の笑みがこぼれた。

火傷の跡すらない女のために名医を怒鳴り散らす男と、皮膚が焼け爛れて肉が露出している本物の妻。

(喜劇ね……本当にくだらない)

踵を返して立ち去ろうとした瞬間、靴先が廊下に置かれた金属製のくず入れに当たってしまった。

ガラン、と甲高い音が静まり返った廊下に響き渡る。

処置室の扉が、勢いよく開かれた。

姿を現した真司の鋭い眼光が、廊下に立ちすくむ理歌菜を射抜く。

「……理歌菜?」

真司の眉が跳ね上がり、その瞳に一瞬だけ動揺が走った。

理歌菜の左腕は無残に赤黒く腫れ上がり、破れた水泡から浸出液がブラウスの袖を汚していたからだ。

だが、その動揺は即座に傲慢な怒りによって塗りつぶされた。

「貴様……ここまで尾行してきたのか。どこまで瑞依に嫌がらせをすれば気が済むんだ!」

「……私は治療に来ただけです」

理歌菜は視線を合わせず、感情の抜け落ちた声で答えた。

「治療だと? そんな大げさな怪我のふりをして、俺の気を引こうとする魂胆が見え透いているんだよ!」

真司は大股で間合いを詰めると、理歌菜の負傷した左手首を万力のような力で掴み上げた。

骨がきしむほどの圧力と、傷口が引っ張られる痛みに、理歌菜は顔をしかめる。

「離してください」

「瑞依に謝罪しろ。今すぐこの場で土下座して詫びるなら、屋敷に置いてやる」

「お断りします」

理歌菜は、まっすぐに真司の瞳を見据えた。

その瞳には、かつてあった熱情も、哀願も、恐れすらも存在しなかった。

ただ、どこまでも冷たく澄んだ、絶対的な拒絶だけが宿っていた。

真司の心臓が、得体の知れない恐怖でドクンと跳ねた。

いつもなら怯えて涙を浮かべ、必死に言い訳をするはずの女が、まるで路傍の石でも見るような冷ややかな目で自分を見上げている。

「な……んだ、その目は」

苛立ちを紛らわすように、真司は理歌菜の身体を無理やり引き寄せ、耳元で低く威嚇した。

「調子に乗るなよ。お前が赤沢家の看板なしに生きていけると思うな。いいから来い!」

「痛っ……離して!」

真司は理歌菜の抵抗を無視し、痛む左腕がスーツに擦れるのも構わず、強引に引きずって病院の通用口へと向かった。

処置室の中から、包帯を巻いた瑞依が嘲笑を浮かべて見送っているのを、理歌菜は見逃さなかった。

雨の降りしきる駐車場。

真司は待機させていたマイバッハのドアを乱暴に開け、理歌菜を後部座席へと押し込んだ。

バタン、と重い金属音が響き、ドアが閉ざされる。

真司はガラス越しに冷たい視線を投げかけると、「瑞依を連れてくる。そこで頭を冷やせ」と言い捨て、病院へと戻っていった。

薄暗い車内。

理歌菜は震える右手でポケットからスマートフォンを取り出した。

画面を操作し、厳重に暗号化された海外の連絡先リストを開く。

ある番号を発信し、端末を耳に当てた。

呼び出し音が静かに響く中、理歌菜の横顔には、二度と揺らぐことのない冷徹な決意が宿っていた。

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読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全60章

  1. 第1章第1章 沸騰するスープと冷め切った心
  2. 第2章第2章 病院の廊下での略奪と冷たい視線
  3. 第3章第3章 虚偽の転倒と決然たるカウントダウン

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