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第2章 漆黒のポルシェと血まみれの救世主

人気のない海沿いの道を、百合子はよろめきながら歩いていた。

廃倉庫からどれだけ走っただろうか。体内の薬が猛威を振るい、視界が明滅している。思考はまとまらず、ただ「逃げなければ」という本能だけが彼女を動かしていた。

背後から車のエンジン音が急速に近づいてくる。誘拐犯たちが追いついてきたのだ。恐怖で心臓が喉から飛び出しそうになる。

もう終わりだ――。

そう思った瞬間、前方から一筋の鋭い光が闇を切り裂いた。ヘッドライトだ。

最後の希望だった。百合子は残された力を振り絞り、その高級車と思しき車の前に飛び出した。

キキィッ――!

鋭いブレーキ音が夜の静寂を破り、漆黒のポルシェが彼女のわずか数センチ手前で停止した。

運転席の窓が静かに下りる。くゆる紫煙の奥から現れたのは、冷徹な光を宿した男の瞳だった。

大和田博康。

三尾英樹の最大のライバルであり、財界の若き帝王。

なぜ彼がこんな場所に。

しかし、百合子にそれを考える余裕はなかった。

「助けて……」

掠れた声を最後に、彼女はその場に崩れ落ちた。

博康は一瞬眉をひそめたが、衣服の乱れや頬の傷、そして尋常でない様子を見て、ただ事ではないと判断した。

その時、後方を追ってきたバンが乱暴に停車し、ナイフを手にした男たちが降りてきた。

「おい、その女を渡せ!」

犯人たちが威嚇するが、博康はまったく動じない。彼はゆっくりと車から降り立つと、圧倒的な存在感と冷たい威圧感でその場を支配した。上質なスーツに身を包んだ姿は、まるで夜そのものが形を成したかのようだ。

「失せろ」

短く告げられた言葉に、犯人たちは一瞬怯む。だが、すぐに逆上して襲い掛かってきた。

しかし、それは戦闘と呼べるものではなかった。一方的な制圧だった。博康は常人離れした身のこなしで攻撃をいなし、的確に関節を砕き、急所を打つ。悲鳴と鈍い打撃音が数回響いた後には、犯人たち全員が地面に倒れ伏し、動かなくなっていた。博康は返り血ひとつ浴びていない。

冷ややかに倒れた男たちを見下ろすと、彼は携帯電話を取り出し、誰かに連絡を入れた。

『湘南の134号線沿いだ。後始末を頼む』

その手際の良さと声音からは、彼がただのビジネスマンではないことがありありと窺えた。

通話を切ると、博康は意識を失いかけている百合子に近づき、躊躇なくその体を横抱きにした。腕に伝わる異常な熱と、かすかに香る甘い匂いに、薬を盛られていることを確信する。

彼は百合子をポルシェの助手席に慎重に乗せ、自身も運転席へと戻った。

車を発進させる直前、博康はバックミラーに映る倒れた男たちを一瞥し、冷たく呟いた。

「命知らずな連中だ」

脳裏に、三十分前の部下からの報告が蘇る――――『三尾英樹の婚約者が誘拐された模様です』。

偶然を装ってこの場に現れた。だが、少しだけ遅かった。

ポルシェは静かに夜の闇へと溶け込むように走り去る。車内では、薬の作用で苦しむ百合子が無意識に博康の腕に体を寄せ、冷たさを求んですり寄っていた。

博康はハンドルを握る手に力を込めた。この女の熱が、彼の冷静さを少しずつ侵食していく。

彼は口元をわずかに吊り上げ、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

「面白いことになってきた」

百合子は苦しげに息を乱しながら、何かを呟いている。

「許さない……絶対に……」

その声に、博康は興味深そうに視線を向けた。

車は速度を上げ、湘南の海辺に佇む彼のプライベートヴィラへと向かう。ゲートが自動で開き、ポルシェは静かにガレージへと滑り込んだ。

外界から完全に遮断された空間。

これから始まる長い夜を予感させるように、ヴィラの照明が煌々と灯っていた。

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全70章

  1. 第1章第1章 身代金はゼロお前は好きにしろ
  2. 第2章第2章 漆黒のポルシェと血まみれの救世主
  3. 第3章第3章 復讐の誓いと堕ちた一夜

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