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第2章
数十秒にも感じられる重い沈黙の後、暁が押し殺したような笑い声を漏らした。 「寝言は寝て言え」 彼は鋭い視線で沙耶を射抜き、嘘の痕跡を探ろうとした。だが、彼女の顔にあるのは、絶対零度の静けさだけだった。 我に返った小夜子が、芝居がかった優しさで取り繕う。 「沙耶さん、離婚のショックで混乱しているのね……。二千億なんて、国家予算じゃないのよ」 沙耶はハンドバッグから一通の書類を取り出し、静かにテーブルの上に滑らせた。 それは、株式譲渡証明書の写しだった。そこにはっきりと『藤森沙耶』の名前と『四%』の文字が印字されている。 暁は震える指でその紙を掴んだ。内容に目を通すうちに、彼の瞳孔が急速に収縮していく。 書式も、押された印章も、本物だ。鷹司財閥の跡継ぎとして、彼にはそれが分かった。 「どこでこれを手に入れた?」 声には、隠しきれない動揺と脅迫の色が混じっていた。 沙耶は淡々と答える。 「三年前、あなたとの結婚が決まった時、鷹司の経営危機を救うために私が出資した五百億円。その見返りとして、正宗会長から正式に譲渡されたものです」 暁の記憶が、三年前の出来事を必死に手繰り寄せる。確かに、会社が危機的状況に陥ったことがあった。だが、それは別の財閥の援助で乗り切ったと聞かされていた。父である正宗から。 「嘘よ!」 小夜子が金切り声を上げた。 「五百億なんて大金、あなたみたいな田舎者が持ってるわけない!暁さんを騙す気ね!」 彼女は縋るように暁に泣きついた。 「暁さん、彼女はあなたのお金を狙っているのよ!」 沙耶は立ち上がり、スカートの皺を軽く伸ばした。小夜子のヒステリックな声は、まるで耳に届いていないかのようだ。 「信じるか信じないかは、あなた方の問題です。私の要求は伝えました。弁護士を通して、正式に手続きを進めます」 彼女はハンドバッグを手に取り、リビングを横切る。 「待て!」 暁が、強い力で彼女の腕を掴んだ。骨が軋むほどの力だった。 「その金の出所を言え!」 沙耶は掴まれた腕に冷たい視線を落とした。抵抗する素振りは微塵も見せない。 「放して」 静かな、しかし有無を言わせぬ響きを持った声だった。 その氷のような瞳に射すくめられ、暁は思わず手を離してしまった。 沙耶は軽く手首をさすり、もはや二人を一瞥だにすることなく、玄関へと向かう。 「この家には、もう二度と戻りません」 扉が閉まる乾いた音が、やけに大きく響いた。 残されたリビングで、小夜子が暁の胸にすり寄る。 「暁さん、怒らないで。彼女はきっと詐欺師よ。あんなもの、偽造できるわ」 暁の顔は、嵐の前の空のように暗く沈んでいた。 彼は小夜子の言葉を信じたいと思っていた。そうでなければ、自分がいかに愚かだったかを認めなければならなくなる。 「そうだ……偽物に決まっている」 自分に言い聞かせるように、彼は呟いた。 「彼女の正体を暴いて、一円も渡さなければいいのよ」 小夜子の目に、陰湿な光が宿る。 「世間に、彼女がどれだけ強欲で、あなたを騙した女かを知らしめるのよ」 暁の瞳に、冷酷な決意が宿った。 「小夜子、君の言う通りだ」 彼はスマートフォンを取り出し、電話をかける。 「私だ。藤森沙耶という女の過去を、徹底的に調べ上げろ」 二人は、互いの顔に浮かんだ共犯者の笑みを見つめ合った。
章一覧
全70章
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