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チャプター 2 第2章
―― 杉原麻美 ――
慎一郎は、凛々葉の気まぐれな願いを叶えるためなら、惜しみなく大金を投じた。
「世界でたった一つの色のバッグが欲しい」と言えば、数千万円をかけて特注品を作らせる。
メディアは「松井慎一郎、恋人のために億単位の投資」と書き立てた。
その見出しが目に入るたび、胃の奥がぎゅっと絞られるような痛みが走った。
私は一人で大空の葬儀の手配をした。
カフェのパート代から捻出したわずかなお金で、質素な葬儀を行う。
祭壇には、大空が好きだった青い花を飾った。
慎一郎にもらった飛行機の模型も、彼の手の届く場所に置いた。
慎一郎は一度も顔を出さなかった。
弔電すら届かなかった。
彼の名前で届いたのは、会場を埋め尽くすほどの巨大な花輪だけだった。
豪華なバラの花輪は、まるで祭壇の前で私たちの悲しみを嘲笑うように、場違いな輝きを放っていた。
その花輪を見た瞬間、気がつくと私は花輪に手を伸ばしていた。
気がつくと、中庭に投げ捨てていた。
花弁が散乱し、鮮やかな赤色が地面に染みを作る。
大空の好きだった色とは、かけ離れた赤だった。
花輪を捨ててから数時間後、慎一郎から電話があった。
彼の声は、いつも通りの、どこか傲慢な響きを含んでいる。
「マミ? 大空君の件、本当に残念だった」
まるで、当たり障りのないビジネスの挨拶をしているようだった。
「今、どこにいるの?」
私の声は、もはや感情という熱を失っていた。
「ああ、凛々葉と出張だよ。彼女のブランドの展示会が京都であるんだ。大空君の葬儀には行けなくて、本当にすまない。花輪を送っておいたから、香典はまた改めて……」
私は彼の言葉を遮った。
「大空は、もういない」
電話の向こうで、一瞬の沈黙があった。
「え、どういうことだ?」
彼は本当に理解していないようだった。
「大空は、死んだのよ。あなたの、数億の金と引き換えに」
私の言葉に、彼は少し狼狽したようだった。
「ま、待てよ、マミ。そんな言い方をするな。俺だって、大空君のことは心配していたんだ」
「心配? あなたは凛々葉のブランドに数億を投じながら、大空の移植手術費用は『会社の資金繰りが厳しい』と断った」
声が震えた。
手が震えた。
でも、涙はもう出なかった。
「あれは、戦略的な判断だったんだ。あの時、会社の株価が不安定で……」
「大空の命が、あなたの会社の株価よりも軽かったと?」
私の問いに、慎一郎は言葉を詰まらせた。
その時、電話の向こうから、凛々葉の甘ったるい声が聞こえる。
「慎一郎〜、どうしたの? 早く来てよ〜」
その声は、私の心に最後の止めを刺した。
ああ、もうこの男には、何の未練もない。
私は電話を切った。
手はまだ震えていた。
だが、机の引き出しを開ける指だけは、不思議なほど冷静だった。
引き出しから取り出したのは、慎一郎と出会った頃に彼が「二人の未来のために」と言って、一緒に記入した婚姻届の控えだった。
すべての欄が埋まり、必要な押印も済んでいる。
「区役所にはもう提出した。受理証明書はまだ手元に届いていないが、これで俺たちは正式な家族だ」
彼はそう言って、私を抱きしめた。
あの時の私は、その言葉を信じていた。
彼がいつか「正式に」と言ってくれる日を、私はこの書類を信じて待っていた。
今はまだ、それが偽りだという確証はない。
けれど、もうこの紙切れに縋る気持ちは消えていた。
私は別れるための書類に自分の名前を記入し、旧姓である「杉原」と書き込んだ。
ペン先が紙に強く食い込み、文字が深く刻まれた。
まるで、私の決意を象徴するかのように。
私はすぐに弁護士に連絡し、書類を郵送した。
数時間後、弁護士から返信があった。
「杉原様、書類は確かに受け取りました。詳細をお伺いするため、明日の午前中に一度お会いできませんでしょうか」
——このメールが、私を奈落の底へ突き落とすことになるなんて。
大空の遺品を取りに、私はかつて慎一郎と住んでいた家に向かった。
慎一郎の成功を夢見ていた頃に、二人で借りた小さなアパートだ。
慎一郎が成功して豪邸に移ってからも、私は大空との思い出が詰まったこの場所に、時々帰っていた。
大空が退院したときに一緒に過ごした場所だからだ。
アパートの前に着くと、見慣れた高級車が止まっていた。
慎一郎の車だった。
私は身を隠し、様子を窺う。
慎一郎が凛々葉を腕に抱き、アパートの玄関から出てきた。
二人は楽しそうに笑い合っている。
「ここ、本当にボロボロね。こんなところに住んでたなんて信じられない」
凛々葉が軽蔑の眼差しでアパートを見下ろした。
「ああ、懐かしいだろ。でも、もうすぐここも更地になる。君のブランドの旗艦店を建てる予定なんだ」
慎一郎のその言葉を聞いた瞬間、耳の奥で自分の血が逆流する音がした。
大空との思い出が詰まった、私の唯一の故郷が、凛々葉のブランドのために破壊される。
拳を握りしめた拍子に、足元の空き缶を蹴ってしまう。
カラン、と夜の静寂に響き渡る音。
慎一郎と凛々葉の視線が、一斉に私に向けられた。
車のヘッドライトが、私を照らし出す。
二人の顔には、まるで違う種類の笑みが浮かんでいた。
慎一郎は迷惑そうに、凛々葉は愉悦に浸るように。
私はその場に立ち尽くしたまま、静かに拳を握りしめる。
ヘッドライトに照らされた私の影は、アスファルトの上で、ひどく小さく縮こまっていた。
——この時、初めて思った。
この人たちを、許してはいけないと。
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