/0/25834/coverbig.jpg)
第3章 第3話 道端で拾った男
「思塵(スーチェン)様、お姉様はさっき怖い思いをなさったばかりです。せっかくいらしたのですから、わたしの代わりにお姉様についていてあげてください」 蕭語歌(シャオ・ユーグー)はそう言って背を向け、蕭家の夫妻に軽く一礼した。「お父様、お母様、少し疲れました。休ませていただきます」
これ以上この男を見ていたら、自分を抑えきれずに殺してしまいそうだった!
「ええ、語歌。怪我をしているのだから、風に当たってはだめよ。早く中へお入りなさい」 蕭夫人は清洛(チンルオ)に言いつけ、蕭語歌を部屋まで支えて休ませた。
部屋に足を踏み入れた瞬間、蕭語歌はゆっくりと拳を握りしめた。仇が目の前にいるのに、殺せない。悔しくてたまらなかった!
連れ立って去っていく千思塵と蕭語芙(シャオ・ユーフー)の後ろ姿を見送りながら、彼女の目は凍りついていた。心に秘めた想い人……
ーー今のうちに甘いひとときを存分に味わっておけばいい。次に待っているのは、わたしの復讐なのだから。
清洛を下がらせてから足を組んで座り、気を巡らせてみた。だが、体を巡る気の力――内力が、少しも湧いてこない。そこでようやく思い出した。この頃の自分には、武功などまるでなかったのだ。前世では千思塵の行く手を阻む者を排除するため、ほとんど命を懸けて内力を手に入れた。千機閣で過ごしたあの一夜の苦しみは、今思い出しても身の毛がよだつ。彼女は無意識に手を握りしめた。
もうすぐ荷花宴だ。あの日の出来事は、彼女の一生を台無しにするに十分だった。だからこそ、身を守る武功がどうしても要る。 少し考えてから、紙一枚にびっしりと薬の名を書きつけ、清洛に揃えてくるよう頼んだ。この程度の傷なら、自分で処方した薬を飲めばすぐに治る。それに、いざという時のために前もって用意しておきたい薬もあった。
その夜。
「お嬢様、まだお怪我があるのに、こんな夜更けにどちらへ?」
すでに夜陰に紛れる黒装束に着替えた主を見て、清洛は心配でたまらない顔をした。
「清洛、静かに!用があって出かけるの。あなたはここでわたしのふりをしていて。いい、誰が来ても戸を開けてはだめ。もう休んだと言っておいて。分かった?」
この家で心から信じられるのは清洛ただひとりだと、蕭語歌には分かっていた。
「かしこまりました、お嬢様。どうかお気をつけて」
お嬢様がこうと決めたら止められない。ならば、言いつけられたことをきちんと果たすまでだ――清洛はそう心得ていた。
蕭語歌はいくつかの薬を身につけると、こっそり屋敷を抜け出し、前世の記憶を頼りに千機閣を探しはじめた。前世で千機閣へ赴いた時までは、まだ一年近くある。けれど、そこまで待ってはいられなかった。
前方から人影がこちらへ向かってくるようだった。あたりには濃い殺気が立ちこめ、かすかに血の匂いもする。彼女はとっさに道端の草むらへ身を潜め、心の中でぼやいた。(まさか、出てきた早々人殺しに出くわすなんて、そんな運の悪いこと……)
幸い、その者たちはひとしきり探し回っても何も見つけられず、すぐに立ち去った。聞こえるのが風に揺れる草の音だけになってから、彼女はようやく胸を撫で下ろして立ち上がった。
ところが、ほっと息をつく間もなく、不意に喉が締めつけられた。背後から伸びた大きな手が、彼女の首を押さえ込んだのだ。驚いた彼女は生きようとする本能のままにもがいたが、その手はがっちりと首を捕らえて離さず、到底振りほどけない。
そこへ、背後から冷たい声がした。「動くな。動けば殺す」
蕭語歌は言われたとおりおとなしくもがくのをやめ、くんと鼻を鳴らして、わずかに眉をひそめた。「怪我をしているのね?」
口を開いた途端、喉の手にさらに力がこもる。彼女は慌てて言った。「わたし、医術の心得があるの。あなたを助けられる!」背後から伝わってくる殺意で分かった。この男を怒らせれば、すぐさま首をへし折られる!
「うっ……!」背後の男が突然くぐもった呻きを漏らし、そのまま地面に崩れ落ちた。
喉が自由になった瞬間、蕭語歌はとっさに飛びのいて振り返った。ほとんど一息の動きだった!
月明かりの下、背の高い男が倒れていた。白い衣の胸元が一面血に染まっている。明らかに傷を負っていた。蕭語歌は余計な厄介事に関わりたくなかった。だが、男が急に跳ね起きて襲いかかってこないとも限らない。彼女は歯を食いしばり、用心深く近づいた。
「何をする?」
男が不意に彼女の手をつかんだ。修羅の面をつけていて顔は見えないが、のぞく両目は氷の刃のように冷たく、背筋が凍るほどだった。下半身はもう動かないらしい。それでも蕭語歌には分かっていた。この男がその気になれば、自分を殺すのはたやすいことだと。
「害意はないわ。医術の心得があるから、傷を手当てしてあげられる」
蕭語歌は必死に敵意がないことを伝えた。男が拒まないのを見て、そっと唾を飲み込み、つかまれた手を力いっぱい引き抜く。少しためらったものの、やはり慎重に男の衣を開いた。
蛇の形をした暗器が、男の左胸に深々と突き刺さっていた。流れ出る血が暗い緑色をしているところを見れば、暗器に毒が塗られていたのは明らかだ。それも、猛毒が。
「これは北漠の赤焔蛇の毒よ。毒を受けた者は半時辰以内に解毒薬を飲まなければ、全身がこわばって、ものを飲み込むことさえ難しくなる。毒が体の中で炎のように焼けつき、最後には内臓が焼き尽くされて死ぬの!運がよかったわね。わたし、ちょうどこの毒を解けるのよ」
蕭語歌は眉を寄せた。忘れようもない毒だ。前世で、自分もこれに苦しんだ。
男は何か言おうとしたが、舌はすでにこわばり、声ひとつ出ない。どうやら彼女の言うとおり、全身が硬くなりはじめているらしい。体の内側では烈火が燃えさかるようだった。まさか今日、こんなところで足をすくわれるとは。油断した!
蕭語歌は身につけてきた薬を取り出した。用意しておいてよかった。ただ、こんなに早く使う羽目になるとは思わなかった。
男がもう飲み込めないことは分かっている。彼女は仕方なさそうに言った。「先に言っておくけど、わざとあなたの顔を見るわけじゃないから。それを理由に口封じなんてしないでよね」
素顔を隠しているくらいだ。見てしまえば、口封じに殺されかねない。彼女はそう言いながら目を細め、そっと男の面を外した。そして、その顔がはっきり見えた途端、思わず美しい瞳を見開いた。
ーー嘘でしょう。なんて綺麗な顔なの!絵物語から抜け出してきた美男子そのものだ。こんな顔をしていれば、面をつけるのも無理はない。でなければ、どれだけの女に言い寄られることか。
「医者の目に男も女もないわ。これは貸しにしておくから!」蕭語歌は少し眉をひそめて考えると、顔を覆う薄布の端をめくり、薬を自分の口に含んだ。それから身をかがめ、口移しで男の口へ流し込んだ。
唇が重なったその瞬間、男は目を見開いた。彼女の大胆な振る舞いに衝撃を受けたのか、それとも別の理由なのかは分からない。
「男の人の唇って、こういう感じなのね……」やっとのことで薬をすべて流し込むと、彼女は無意識に唇を軽く鳴らしてつぶやいた。ふと目を上げると、男が妙な目つきでこちらを見ている。驚いた彼女は慌てて視線をそらした。
一刻を争う。暗器を引き抜くと、念のため自分も解毒丸を一粒飲んでから、男の毒血を吸い出しにかかった。
正直なところ、これはかなり気まずかった。暗器が刺さっていたのは、男の左の乳首のすぐ下だった。彼女が最初に口をつけた途端、男はこらえきれず小さく声を漏らし、思わず目を閉じた。体が動かないだけで、感覚はちゃんと残っているのだった。
章一覧
全50章
/0/26120/coverbig.jpg)
/0/24259/coverbig.jpg)
/0/23767/coverbig.jpg)
/0/20682/coverbig.jpg)
/0/27166/coverbig.jpg)
/0/26112/coverbig.jpg)
/0/27221/coverbig.jpg)
/0/27154/coverbig.jpg)
/0/27104/coverbig.jpg)
/0/27150/coverbig.jpg)
/0/27134/coverbig.jpg)
/0/26753/coverbig.jpg)