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第2章乳母が遺した言葉

乳母は私と共に丞相府へと移り住んだ。

私を不憫に思い、実の子のように慈しんでくれた。

丞相の父上は二、三日に一度は皇宮へ上がり、戻る頃にはいつも不機嫌な顔をしていた。私の顔を見ると、その表情は一層険しくなるのだった。

幼心にも、父上が私を疎んじていることは分かった。

母は父上の妻であり、巷では二人の睦まじい噂話がまことしやかに語られていた。

母はきっと、誰よりも丞相の父上を愛していたはずだ。だから私も、父上のことを好きになろうと努めた。

それだけに、私は悲しかった。

どうしていいか分からず、ただ悲しくて、泣きながら乳母に尋ねた。

「乳母、私が何か悪いことをしたの?」

「どうしてお母さんは私を置いていってしまったの。父上も、私のことが嫌いなの?」

乳母は何かを言いかけて口をつぐみ、ただ深いため息をつくと、私をきつく抱きしめた。

その時の私には、まだ分からなかった。

乳母の瞳の奥に宿る、深い憎しみと哀しみの色を。

丞相府の者たちは、私の身分が高貴であるにもかかわらず、

決して丁重には扱わなかった。

丞相の父上が私を厭い、帝の父上が私を手放して以来、何の音沙汰もないことを見透かしているのだ。

そんな中で、王の父上だけが、頻繁に顔を見せてくれた。

物腰の柔らかな、君子然とした人だった。

私の誕生日の日、彼がやってきた。

どこか浮かない顔で、機嫌が悪そうに見えた。

それでも、辛抱強く私に尋ねてくれた。

「今日は君の誕生日だな、阿狸。お母さんに何か言づてはあるかい?」

「ある!」

私は嬉しさのあまり何度も頷くと、一目散に枕の下に隠していた小さな匂い袋を持ってきた。

「これ、私が作ったの。お母さんに届けてくれる?」

彼は頷き、面白がるような目つきで言った。「ああ、必ず届けよう」

その日、父上は一本の簪を持ち帰った。

母からの贈り物だと言って。

行く時はあれほど不機嫌だったのに、戻ってきた時には顔を紅潮させ、満ち足りた表情を浮かべていた。そして、珍しく私を抱きしめた。

父上の体から発せられる匂いが、むせ返るように鼻腔へと流れ込んでくる。

思わず、鼻をつまんだ。

ずっと覚えていた、あの嫌な匂いがしたからだ。

あの日、母の体から香った、生臭い白檀の匂い。

決して、忘れられるはずもない。

学問を始める年頃になっても、母に会える日は来なかった。

ある日、帝の父上が私を宮中に召し、慈悲深い表情で、皇子たちと共に学ぶことを特別に許すと言った。

私は行きたくなかった。

母が言っていたのを覚えていたからだ。

決して皇宮へ戻ってはならない、と。

母が私を陥れるはずがない。

だから私はその申し出を断った。屋敷に戻ると、腑に落ちないまま乳母に尋ねた。「乳母、皇宮って良いところなの?」

乳母は首を横に振り、それから、こくりと頷いた。

「皇宮は良いところです。富貴栄華のすべてが、そこにありますから」

「富貴栄華?」私は幼い顔を上げて聞き返した。「それって、なあに?」

「人の運命を意のままにできるもの、でございます」

私の目は輝いた。「じゃあ、それがあれば、母に会えるの?」

乳母は黙って私の頭を撫で、やがて口を開いた。

「お嬢様。あなたのお母様は、とてもお優しい方です」

「あの方は皇宮という籠に囚われている。あの方にお会いするには、それだけでは足りませぬ」

私は瞬きをした。「じゃあ、他に何が必要なの?」

乳母はふっと笑った。その瞳には、私には理解できない、決然とした光と、冷たい侮蔑の色が浮かんでいた。

「権力です」

「誰にも逆らうことのできない、至高の権力」

乳母の言葉の意味が分からず、私は呆然と彼女を見つめた。

彼女は私の背をぽんぽんと叩くと、寝台へと抱き上げた。

「さあお嬢様、もうお休みの時間でございますよ」

翌朝、目が覚めると、乳母の姿がどこにもなかった。

裏庭で、乳母は変わり果てた姿で見つかった。無残な亡骸は、もはや誰の顔か判別もつかなかった。

喉には、鋭い小刀が深々と突き立てられていた。

その柄には、「宋」の一文字が刻まれている。

宋は、この国の姓。乳母を殺したのは、帝の父上だ。

私は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。そして、ようやく乳母の言葉の意味を悟った。

これが、乳母がその命を賭して私に教えた、最初の授業だった。

権力。

これが、権力。

私の大切な人をいとも容易く奪い去り、

私には何もできず、

刃向かうことさえ許されない、絶対的な力。

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全12章

  1. 第1章第1章天女の檻
  2. 第2章第2章乳母が遺した言葉
  3. 第3章第3章雪解けの決意

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