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第3章 圧倒的な武力氷の令嬢の鉄槌

「ひひぃっ……!」 床を転がる仲間の悲鳴を聞きながら、金髪の男は背中を壁に押し付けた。 「お前ら、何突っ立ってんだ! 酒瓶持ってぶっ殺せ!」 我に返った男二人が、ウイスキーのボトルを掴み取り、晴美の頭めがけて左右から振り下ろした。 重いガラスが空を切る音。 晴美は眉一つ動かなかった。 体を滑らかに沈み込ませる——次の瞬間、二本のボトルは空中で激突した。 ガシャアンッ! 砕けたガラス片と琥珀色の液体が、振り下ろした男たちの顔面へ降り注ぐ。 「目がっ! 顔が切れ——ぎゃあああっ!」 同士討ちした二人が顔を押さえて蹲る。 部屋の隅に隠れていたホステスたちが悲鳴を上げ、ソファの陰に身を縮めた。 晴美は一歩、また一歩と、金髪の男へ間合いを詰めた。 足音が響くたび、男の喉からヒュウヒュウと情けない音が漏れる。 「や、やめろ……俺の親父が誰か知って——」 晴美の右手が伸び、男のシルクシャツの襟首を鷲掴みにした。 予備動作もなく、七十キロ以上ある体を片手で宙へ持ち上げる。 「がはっ……?!」 両足が床から浮き、首を絞められて白目を剥きかける。 暴れる手足は、晴美の腕にすら届かなかった。 男の顔を自分の眼前まで引き寄せ、感情のこもらない瞳で覗き込んだ。 「最後に一度だけ聞くわ。誰が拭くの?」 「わ、わだじが……拭ぎまず! 拭がせでぐだざいっ!」 手を放すと、男は雑巾みたいに床へ叩きつけられた。 咳き込みながら四つん這いになり、光登の車椅子へ這い寄る。 そして自分が着ていた数十万のブランドシャツを脱ぎ捨てると、光登の革靴に付いた酒を、狂ったように擦りはじめた。 「申し訳ありませんでした! 綺麗にしました、綺麗にしましたから!」 光登は視線を微塵も動かさなかった。 足元で震える男など、路傍の小石以下だ。 その代わり、視線は晴美へ注がれていた。 晴美はテーブルから除菌シートを一枚引き抜き、自分の指先を丁寧に拭っている。 汚れたシートを金髪の男の頭の上へ放り投げると、低く言い放った。 「消えなさい」 言葉が終わるか終わらないかのうちに、男は骨折した仲間を置いて転がるように逃げ出した。 残りの男たちも、這うように後を追う。 嵐の去ったVIPルームには、割れたガラスと酒の匂い、そして静寂だけが残った。 晴美はシートをゴミ箱へ蹴り込むと、車椅子の前へ歩み寄った。 そして光登の正面にしゃがみ込み、その顔をじっと見つめた。 至近距離で見る男の顔立ちは、息を呑むほど整っていた。 通った鼻梁、薄い唇、そして怯えているかのように伏せられた黒い瞳。 光登は完璧に『怯える廃嫡の御曹司』を演じ、細い肩をわずかに震わせてみせた。 (こんな綺麗な顔をして、声も出せず耳も聞こえないなんて……南雲家の連中も、よくこんな無防備な人間を放り出しておけるものね) 晴美の胸の奥で、理不尽への苛立ちと、奇妙な庇護欲が首をもたげた。 彼女は小さく息をつくと、車椅子の肘掛けに置かれていた光登の大きな手を、自分の手で包み込んだ。 ビクッと、光登の指先が強張る。 晴美の手のひらは滑らかで、驚くほど温かかった。 指の腹にある針仕事のタコが、光登の肌を優しく刺激する。 誰の体温も受け入れてこなかった男の心臓が、不意に跳ねた。 「大丈夫よ。もう誰も手出しさせないわ」 晴美は光登の手を握り直すと、立ち上がって車椅子のグリップを握った。 「ここを出るわよ。危ないから」 光登は抵抗せず、引かれるままに身を委ねた。 床に散らばるガラスを避け、晴美は手慣れた動作で車椅子を押す。 破壊された扉を抜け、専用エレベーターホールへ向かった。 金属の扉が静かに閉まり、クラブの喧騒が遠ざかる。 密閉された空間の中で、光登はゆっくりと首を傾げ、隣に立つ晴美の横顔を見つめた。 無償の庇護。迷いのない武力。 光登は、初めて心の中で呟いた。 (……面白い) 伏せられた瞳の奥で、殺意に代わる別の炎が、静かに灯りはじめていた。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全60章

  1. 第1章第1章 真偽の令嬢が交錯し帝都の夜に潜む影
  2. 第2章第2章 偽りの廃人冷徹なる瞳の奥
  3. 第3章第3章 圧倒的な武力氷の令嬢の鉄槌

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