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チャプター 2 夫がクライアントに
なんて偶然なの! また彼だなんて! 昨夜の出来事と、今朝の彼の氷のように冷たい態度が、藤原月姫の脳裏で交互にフラッシュバックする。 月姫は無意識にその場から逃げ出そうとした。だが、身を翻しかけた瞬間、ピタリと足を止める。(待って……) 名ばかりの夫とこれ以上関わりたくはない。だが、もし岡崎グループと契約を結べば、彼女の弁護士としてのキャリアにおいて飛躍的なステップアップになる。 それに、彼は自分の正体に全く気づいていない。仕事に支障は出ないはずだ。 そう考え直すと、月姫は、堂々とした足取りで岡崎輝優の向かいの席に腰を下ろした。「岡崎さん、またお会いしましたね」 輝優は彼女の顔を見るなり、一瞬にして表情を凍りつかせた。 金は払ったはずだぞ? この女、まさかここまで追いかけてきたのか。どこまでもしつこい女だ! 彼の瞳に冷酷な嘲笑の色が浮かぶ。「金が足りなかったのか?」氷のような声で、彼は吐き捨てるように言った。 月姫は背筋をピンと伸ばし、冷静に答えた。「誤解なさらないでください。クライアントにお会いするためにここへ来たのです」 輝優の胸の内に、さらなる嫌悪感が渦巻いた。(俺の部屋から出てきたばかりだというのに、もう次の客を取るだと?) 彼は月姫の細く華奢な体に目をやり、ふとそんな考えがよぎった。(あんなことで、耐えられるのか?) 「随分と熱心だな。休む間もなく次の仕事か?」 月姫はパチクリと瞬きをした。彼の言っている意味が全く理解できない。「稼げるお金があるのに、どうして稼がないんですか?」 輝優の眼差しが、少しずつ嫌悪の色を帯びていく。(この女、あんな真似を誇りにすら思っているのか!) どこまで恥知らずなんだ! 月姫は彼の心中など知る由もない。ただ自分の弁護士としての手腕を疑われているのだと勘違いし、なんとか契約を勝ち取ろうとさらに身を乗り出した。 「ご安心ください。この手の案件は何度も経験しております。業務には非常に熟練していますから」 輝優は数秒間、彼女を上から下までじっくりと見た。 (熟練、だと?) 昨夜の彼女は、どう見ても初心なものだった。あれは全部、自分を喜ばせるための演技だったというのか? 月姫は彼の疑り深い視線を受け、プロとしてのプライドを傷つけられたように感じた。彼女はすかさず言葉を継いだ。「クライアントのご要望に合わせて、様々なプランをご提案することも可能です。お客様の満足が第一ですから。もし他にご要望があれば、何なりとお申し付けください。全力を尽くさせていただきます」 岡崎グループは巨大企業だ。このチャンスを、絶対に逃すわけにはいかない。 輝優は思わず片眉を上げた。「今の業界は、そこまでサービスが行き届いているのか?」 彼女の自信満々な様子は、まるで本当に手慣れているかのように見えた。 なぜか、彼の胸の奥に得体の知れない苛立ちが込み上げてきた。彼は顔を背け、冷たく言い放った。「帰れ。俺には必要ない」 月姫は焦った。必要ないって、どういうこと? 明智雄悠からは、今回の案件は非常に厄介だと聞かされていた。だからこそ、わざわざ彼女に助けを求めてきたはずだ。 それなのに輝優が「必要ない」と言うのは、明らかに彼女を信用していない証拠だ。 月姫は食い下がった。「私はこれまで、多くの企業の経済トラブルや国際貿易案件を処理してきました。経験は豊富です。それに、ここへ来る前に岡崎グループの案件にはしっかりと目を通しております。絶対に勝てる自信があります!」 輝優は驚いたように彼女を振り返った。「お前……さっきから言っていたのは、裁判の案件のことか?」 月姫はきょとんとした顔をした。「他に何があると言うんですか?」 (この人は一体、何の話をしているの?) ふと何かを思い出し、月姫は慌てて輝優に説明した。「明智雄悠さん……明智さんからのご紹介で伺ったのです」 輝優はピクリと眉を動かした。男を誘惑し、あんなことをして稼ぐ女弁護士だと? あの明智雄悠も、随分と焼きが回ったものだ。よりによって、こんないい加減な女を自分に紹介してくるとは! 月姫は彼が黙り込んだのを見て、まだ疑われているのだと思い、さらに言葉を重ねた。「岡崎さん、岡崎グループの貨物がM 国の税関で差し押さえられていることは存じております。 この種の訴訟は過去に何度も手がけており、ノウハウは十分にあります。どうか私にチャンスをください。これ以上長引けば、岡崎グループは甚大な損失を被ることになります」 輝優は鼻で笑った。「随分と熱心なことだ。そこまで詳細に調べ上げているとはな」 月姫は当然のことのように胸を張った。「もちろんです。私たちの業界は、お客様第一主義ですから」 輝優の顔色がさらに険しくなった。(またお客様第一主義だと!) 彼は不快感を露わにし、冷酷に嘲笑した。「岡崎グループのトップ弁護士チームでさえ解決できない問題を、お前ごときが解決できるとでも?」 弁護士としての専門的な能力を真っ向から否定され、月姫の心に怒りの火が点いた。 (この男、いくらなんでも人を馬鹿にしすぎている!) 「岡崎グループの貨物が差し押さえられたのは、貨物自体に問題があったからではありません。御社の弁護士がアプローチの方向を間違え、自己証明の罠に陥っているからです。視点を変えれば、問題はあっさりと解決します」月姫は顔から笑みを消し、一言一言、力強く言い放った。 その瞬間、彼女の纏う空気が一変した。隙のない、プロフェッショナルな弁護士としての圧倒的なオーラ。その気迫に押され、輝優は思わず息を呑んだ。
章一覧
全77章
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