/0/24333/coverbig.jpg)
/0/24900/coverbig.jpg)
チャプター 3 第3章
―― 中西美月 ――
鏡に映る私は、純白のウェディングドレスを身にまとい、まるで一人残された道化師のように見えた。
ドレスの重みが、私の肩にずしりと食い込んだ。それは物理的な重さだけではなかった。私の心の奥深くに沈み込んだ、計り知れない感情の重さだった。胸の奥から湧き上がる痛みと、抑えきれない不安が、私を深く覆い尽くした。
時計の針が、カチ、カチと単調な音を立てて進む。その規則的な音は、まるで私を嘲笑っているかのように聞こえた。時間がゆっくりと、しかし確実に流れていく。私はソファに座り、ただひたすら直樹が戻るのを待った。
しばらくして、スタッフが心配そうに私に声をかけた。
「美月様、お飲み物はいかがですか? 紅茶をお持ちしましょうか?」
私は「ええ、ありがとう」と答えた。スタッフは何度も温かい紅茶を運んできてくれた。しかし、時間が経つにつれて、カップの中の紅茶は冷め、表面には薄い膜が張っていた。それは、私の心の中で冷え切っていく希望と、関係の変質を象徴しているようだった。
私は再び時計を見た。もう、深夜だった。直樹が「すぐに戻る」と言ってから、かれこれ十二時間以上が経っていた。彼の約束は、空虚な言葉となって、私の心に深く突き刺さった。私は完全に置き去りにされたのだ。
その時、私の下腹部にズキリと鋭い痛みが走った。私は思わず体を折り曲げ、ドレスの生地を強く握りしめた。息を詰めて痛みに耐える。額からは冷や汗が流れ落ち、目の前が真っ白になった。生理痛とは違う、尋常ではない痛みだった。これはただの腹痛ではない。何かが、私の体の奥で悲鳴を上げている——そんな直感が走った。
私は震える手で、直樹の携帯電話にダイヤルした。指が震え、何度も番号を押し間違えた。私の最後の希望が、この電話にかかっていた。どうか、彼が出てくれますように。
呼び出し音が長く長く響く。心臓が張り裂けそうだった。もうすぐ自動的に切れてしまう、そう思った時、プツリと音がして、電話が繋がった。
「もしもし、直樹? 私、美月。体が、ちょっと…」
私の言葉を遮るように、電話の向こうから、甘ったるい女の声が聞こえた。
「あら、誰かと思ったら、美月さんじゃない。こんな夜中に、何のご用かしら?」
それは、喜多村百合菜の声だった。私の呼吸が止まった。まさか、彼女が。頭の中で、血の巡りが凍りついた。心臓が激しく脈打ち、目の前が真っ暗になった。なぜ彼女が直樹の電話に出るのか。なぜ、よりによってこの時間に。
「喜多村さん…? なぜあなたが直樹の電話に…」
私の声は、ひどく震えていた。百合菜は、まるでこちらを嘲笑うかのように、冷たく、しかしどこか得意げな声で言った。
「あら、ごめんなさいね。直樹は今、私の隣でぐっすり眠っているの。昨夜は一晩中、私の面倒を見てくれたから、疲れているのよ」
電話の向こうから、微かに猫の鳴き声と、暖炉の薪が燃える音が聞こえた。それは、私が知っている直樹の家とは違う場所の音だった。
「直樹ったら、猫アレルギーなのに、私のために猫を可愛がってくれたの。本当に優しい人だわ。そして、私のために、この家を買い戻してくれたのよ。覚えてる? 私の実家だった、田園調布の豪邸を。これは、私たち二人の新しい家なのよ」
百合菜の声は、勝利を確信したかのように響いた。彼女は直樹が私のウェディングドレスのフィッティングをすっぽかしてまで、彼女のために尽くしていることを、私に誇示しているのだ。直樹が猫アレルギーだったこと、彼が過去に猫に近づくことさえ嫌がっていたことを思い出した。そんな彼が、百合菜の猫を撫でているなんて。信じられなかった。
私の頭の中には、直樹が私に言った言葉が響き渡った。「喜多村のことはもう関係ない」「君だけを愛している」。その言葉は、今や空虚な嘘となって、私の心を切り裂いた。
「じゃあ、失礼するわね。直樹を起こさないように、静かにしてくれるかしら?」
百合菜はそう言うと、一方的に電話を切った。私の耳元に残ったのは、無遠慮な切断音だけだった。
電話が切れると同時に、私の下腹部を再び激痛が襲った。今度は、先ほどよりもずっと激しい痛みだった。私はソファから床に崩れ落ち、体を抱きしめた。痛みは波のように押し寄せ、私の意識を朦朧とさせた。
どれくらいの時間が経っただろうか。私はただ床に座り込み、天井を見上げていた。スタッフの心配そうな声が、遠くから聞こえてくる。
「美月様? 大丈夫ですか? 顔色がひどく悪いですよ」
スタッフの声が、私を現実へと引き戻した。私はゆっくりと立ち上がった。体中の力が抜け、足元がおぼつかなかった。
「あの、すみません。もう結構です」
私は震える声で言った。スタッフが困惑した表情で私を見た。
私は純白のウェディングドレスを脱ぎ捨てた。そのドレスは、私の悲劇を嘲笑うかのように、床に無残に広がっていた。私は自分の日常着に着替えた。シンプルなワンピースは、今の私の心境を映し出しているようだった。
私は直樹のいる場所へ向かうことを決意した。真実を、この目で確かめなければならなかった。外は、激しい雨が降っていた。雷鳴が轟き、稲妻が夜空を切り裂いていた。私の心の中も、同じように荒れ狂っていた。
私はタクシーを拾い、百合菜が言っていた田園調布の豪邸へと向かった。車が止まると、私は急いで外に出た。土砂降りの雨が私を叩きつける。道路は泥濘み、私の靴はあっという間に泥水に浸された。しかし、そんなことには構っていられなかった。私の心の中は、ただ真実を知りたいという一心で満たされていた。だが、その真実が、私をさらに深い絶望へと突き落とすとも知らずに。
章一覧
全10章
/0/25691/coverbig.jpg)
/0/24827/coverbig.jpg)
/0/26756/coverbig.jpg)
/0/24893/coverbig.jpg)
/0/22477/coverbig.jpg)
/0/27221/coverbig.jpg)
/0/27166/coverbig.jpg)
/0/27154/coverbig.jpg)
/0/27104/coverbig.jpg)
/0/27150/coverbig.jpg)
/0/27134/coverbig.jpg)