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研究所に着いても、佳菜の頭はぼんやりとしていた。 同僚の加藤誠が心配そうに声をかけてきた。 「顔色が悪いですよ」 彼女は力なく首を振るだけだった。首には、聡志から渡されたスカーフが巻かれていた。まるで枷のように。 アシスタントの清水美咲が、コーヒーを持ってきた。 彼女は佳菜の首元を見るなり、大げさな声を上げた。 「わあ、佳菜先輩!それ、エルメスのツイリーじゃないですか!」 佳菜はきょとんとした。ブランドには疎かった。 ファッションに詳しい美咲は、すぐに解説を始めた。 「でも、なんだか珍しい柄ですね。もしかして……配り物とか?」 彼女はスマートフォンを取り出し、素早く検索を始めた。そして、その画面を佳菜に見せた。 そこには、ファッションブロガーの開封動画が映っていた。 タイトルは『300万円のバーキン購入!配り物のツイリーは果たしていくらの価値が?』 動画の中のスカーフは、佳菜の首にあるものと寸分違わなかった。 美咲はまだ興奮気味に喋っている。 「やっぱり!バーキンを買った時の配り物ですよ!誰ですか、先輩にこんなすごいプレゼントしてくれる人!」 佳菜の頭の中で、何かが鳴った。顔からすうっと血の気が引いていく。 三百万円。昨夜、聡志の口から聞いたのと同じ数字。 彼女は無意識に、首のスカーフを強く握りしめていた。爪が肉に食い込みそうだった。 その時、オフィスの入り口がにわかに騒がしくなった。 上司が一人の女性を伴って入ってきた。 上品なシャネルのスーツに身を包み、完璧な化粧を施した穏やかな雰囲気の女性。 木下彩華だった。 上司が皆に紹介する。 「こちらが、本部から派遣された専門家の木下彩華さんだ。今後、我々の『ヤマト』プロジェクトの核心部分を担当していただく」 彩華は微笑みながら皆に挨拶した。 その視線が佳菜の上を通り過ぎる時、一瞬だけ止まった。 そこには、見定めるような、そして隠しきれない優越感が滲んでいた。 佳菜の視線は、別の場所に釘付けになっていた。 彩華が腕にかけている、真新しいエルメスのバーキン。 色も形も大きさも。美咲のスマートフォンの動画で見たものと、全く同じだった。 そうか。彼はあの金で、この女のためにバッグを買ったのだ。 そして、自分に与えられたのは、そのおまけ。まるでゴミのように抱き合わせで売られていた、安物のスカーフ。 これ以上ない侮辱だった。 彩華が佳菜の前に歩み寄り、手を差し出した。 「あなたが杉野佳菜さんね?聡志さんからお話は伺っているわ。よろしく」 その口調は、まるで自分の所有物を示すかのように馴れ馴れしかった。 佳菜は硬直したまま手を伸ばし、彼女と握手した。指先が、氷のように冷たかった。 隣で美咲が小声で囁いた。 「へえ、聡志さんと知り合いなんですね。それに、本部から派遣された専門家で、あのエルメスのバーキンまで……すごい人なんだ。佳菜先輩の旦那さん、一体どんな人脈持ってるんですか!」 彩華の耳にも、その声は届いていた。彼女の口元の笑みが、一層深くなった。 佳菜は無表情のまま席に着いた。全身の力が抜けていくのを感じた。 彼女は静かに首のスカーフを解いた。それを固く丸めると、机の一番下の引き出しに押し込んだ。 まるで、自分の滑稽な結婚生活そのものを葬り去るかのように。 加藤が彼女の異変に気づいて、温かいお茶を差し出してくれた。 佳菜は彼に頷き返したが、その目は虚ろにパソコンのモニターを見つめていた。 モニターには、彼女が担当する『ヤマト』プロジェクトの最高機密の設計図が表示されている。 そして今、このプロジェクトの核心部分は、夫の愛人の手に渡ろうとしていた。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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