メインコンテンツへスキップ

翌朝、奈津子は部下が持ってきた質素だが清潔な白いワンピースに着替えた。 独房の扉が開け放たれる。 三年間閉ざされていた世界への出口だ。

長い廊下を歩く。窓から差し込む朝の光が、暗闇に慣れた目にはあまりに眩しく、思わず目を細めた。 これが三年ぶりの太陽。自由の光は、拷問のように痛い。

廊下の突き当たりに、清文が腕を組んで立っていた。感情の読めない顔でこちらを見ている。まるで引き取りに来た荷物を待つ業者のようだ。

「清文様、手続きは全て完了いたしました」 吉田医師が書類を手に、満面の笑みで清文に報告する。

彼は奈津子に向き直ると、小さな茶色の薬瓶を差し出した。 「奈津子さん。これは念のための精神安定剤です。もし気分が昂るようなことがあれば、服用してください」 その薬瓶を見て、奈津子の胃が冷たくなる。施設で何度も飲まされた、意識を混濁させる薬だ。

吉田医師は奈津子が受け取らないのを見ると、薬瓶を清文の手に握らせた。そして声を潜めて付け加える。 「もし言うことを聞かないようでしたら、少し多めに飲ませてください」

清文は薬瓶を一瞥もせず、スーツの内ポケットにしまった。 その無造作な動作が、奈津子に現実を突きつける。 彼女の自由は、檻の形が変わっただけなのだと。

奈津子は何も言わず、ただ深々と頭を下げた。

施設の重い玄関扉が開く。 外の空気を吸い込んだ瞬間、奈津子は眩暈がするような感覚に襲われた。三年ぶりの自由の匂い。排気ガスと潮風と、微かな花の香り。生きている世界の匂い。涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で堪える。

黒塗りの高級車が目の前に停まっていた。運転手が恭しく後部座席のドアを開ける。 清文は当然のように乗り込み、まだ外に突っ立っている奈津子を冷ややかに見た。

奈津子は反対側のドアから乗り込もうと一歩踏み出した。 「どこに乗るつもりだ。助手席に行け」 清文の不機嫌な声が飛んでくる。

後部座席は主賓の席。助手席は秘書や部下、目下の者が座る場所だ。 この命令は、奈津子が西園寺家において客以下の存在であるという、無言の宣告だった。

奈津子は黙って助手席のドアを開け、乗り込んだ。

車は滑るように走り出す。 奈津子は窓の外を流れる景色をただぼんやりと眺めていた。見慣れたはずの横浜の街並みが、ひどく遠い世界の出来事のように感じられる。

後部座席の清文はタブレット端末で仕事の処理をしている。車内には息が詰まるような沈黙だけが満ちていた。

ふと、車の窓ガラスに映る清文が電話に出るのが見えた。 「雅か?ああ、心配するな。今そちらに向かっている」 その声は、奈津子に向けていたものとは別人のように優しく甘い。 「……ああ、大丈夫だ。あいつはとても聞き分けが良くなった」

聞き分けが良い。 その言葉が、細い針のように奈津子の胸を刺した。それはつまり、彼らが望んでいたのは「真実」ではなく「従順」だったということだ。最初から最後まで。

電話を切った清文が、バックミラー越しに奈津子と視線が合うのに気づく。 「約束は覚えているな」 彼の声は元の冷たさに戻っていた。 「もしパーティーで少しでも余計なことをすれば、どうなるか分かっているだろうな」

奈津子は小さく頷き、再び窓の外に視線を戻した。 遠くに見覚えのある高層ビルが見える。高橋グループの本社ビルだ。 心臓がきりりと痛む。彼女は無意識のうちにワンピースの裾を強く握りしめていた。

清文はバックミラーで彼女の様子を捉え、唇の端を残酷に歪めた。

車は西園寺家の屋敷がある山手地区へは向かわない。 埠頭エリアに林立する高級ホテルの方角へハンドルが切られていく。

奈津子は悟った。 自分は「家」に帰ることさえ許されないのだ。 地獄からまっすぐに刑場へと、ただ移送されるだけなのだと。

心はどこまでも冷たく沈んでいく。 だが、その瞳の奥に宿る光は、決して消えてはいなかった。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

続きを読む

章一覧

全80章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

新着