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絢子がタワーマンションのエントランスを抜けると、清々しい朝の空気が肺を満たした。 三年間、息苦しい鳥籠の中にいたのだと、今更ながらに気づく。 その時、一台の黒い車が、音もなく彼女の目の前に滑り込んできた。 メルセデス・マイバッハ。 防弾仕様に改造された、特別製の車両だ。 後部座席のウィンドウが静かに下がり、中から現れたのは、日に焼けた、精悍な顔つきの男だった。頬に走る一本の古い傷跡が、彼が潜り抜けてきた修羅場を物語っている。 「お嬢様」 運転席から降りてきた男、隼人は、絢子の前に立つと、深く、恭しく頭を下げた。その声は、感涙に震えている。 「お迎えに上がりました」 絢子は、懐かしいその名を呼んだ。 「隼人、久しぶりね」 「はい……!この三年間、一日たりともお嬢様のことを忘れた日はありませんでした」 隼人は後部座席のドアを開け、絢子を中に促した。 重厚なドアが閉まると、外の喧騒が嘘のように遠ざかる。車内は、完全な静寂に包まれた。 絢子は、柔らかいレザーシートに深く身を沈め、目を閉じた。 この三年間、鷹司家で味わった屈辱と絶望が、走馬灯のように蘇っては、消えていく。 もう、二度とあんな思いはしない。 私は、西園寺絢子. 自分の足で立ち、自分の意志で未来を選ぶ。 胸の奥が、静かに熱くなるのを感じた。長いトンネルを抜けて、ようやく光の中に出たようなそんな、言葉にならない解放感が、全身を満たしていく。 これが、自分の人生を、自分の手に取り戻すということか。 「こちらを」 隼人が、黒いアタッシュケースを差し出した。 中には、最新型の超薄型ノートパソコン、数カ国の偽造パスポート、そして、一枚のブラックカードが収められていた。 絢子はパソコンを取り出すと、ケースの隅に入っていた、縁の細いゴールドの眼鏡をかけた。 レンズは度が入っていない、ただのブルーライトカット眼鏡だ。だが、それをかけた瞬間、彼女の雰囲気は一変した。 ただの美しい女性から、近寄りがたい知性と、底知れない威压感を放つ、絶対的な支配者へと。 「お嬢様が消息を絶たれた後も、我々は世田谷のあの家を拠点に、ずっと情報を集めておりました、兄弟たちも、皆、お嬢様のお帰りを待っております」 隼人は、ハンドルを握りながら、抑えた声で報告した。 絢子は頷きながら、ノートパソコンを開いた。 彼女は、昨夜の屈辱と、今朝の暁の冷たい視線を思い出した。彼に、自分の惨めな姿を記録させておくわけにはいかない。 彼女の十指が、鍵盤の上で踊り始める。 複雑なコマンドが打ち込まれ、画面には港区一帯の交通監視システムの映像が、リアルタイムで映し出された。 无数のカメラ映像の中から、彼女は瞬時に暁の車を見つけ出した。 画面の隅には、制限速度を大幅に超過して、どこかへと向かうスポーツカーが映っている。 絢子の唇に、冷たい笑みが浮かんだ。 彼女はいくつかのキーを叩き、新たなコマンドを実行する。 『対象:鷹司暁邸周辺監視カメラ。指定時刻以降の記録データ、完全消去』 実行しますか?の問いに、彼女は躊躇なくエンターキーを押した。 画面に進捗を示すバーが表示され、数秒で100%に達した。 これで、西園寺絢子が、あのマンションからマイバッハに乗り込むまでの映像記録は、この世から完全に消え去った。 鷹司暁が後になって調査しようとしても、彼女が一人で、スーツケース一つで、惨めに立ち去ったようにしか見えないだろう。 「区役所へ」 絢子はパソコンを閉じ、静かに命じた。 「はい」 隼人は、朝の渋滞が始まった大通りを避け、裏道を知り尽くした巧みな運転で、車を滑らせるように進めていく。 車内には、再び静寂が戻った。 絢子は、スマートフォンを取り出し、一つの番号を呼び出した。 登録名は、『長谷川 凛』。 彼女が、表の世界で活動する際の、最強のパートナーだ。 「凛に繋いで、そろそろ、女王の帰還を知らせる時間よ」 隼人は、バックミラー越しに絢子を見て、力強く頷いた。 「承知いたしました」 マイバッハは、朝日を浴びて輝く、区役所の建物の前で、静かに停車した。 運命の歯車が、今、再び大きく、そして確実に回り始めた。

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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