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赤い目を擦りながら、乃優は虚ろに窓の外を眺めていた。一睡もできずに夜が明けた。その時、枕元のスマートフォンが震えた。画面に表示されたのは、親友である桜井結菜の名前だった。 「もしもし……」 かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。 『乃優?どうしたの、その声。何かあったの?』 電話の向こうから聞こえる結菜の焦った声に、堰き止めていた感情が一気に決壊した。乃優は嗚咽を漏らしながら、昨夜から今朝にかけて起きた全てを、途切れ途切れに話した。 『……最低!信じられない!』 一通り聞き終えた結菜は、電話口で怒りを爆発させた。成瀬家の面々の卑劣さを、容赦ない言葉で罵る。 「私、あんなお爺さんのところに嫁ぐなんて嫌……莉央に翔さんを、渡したくない……」 乃優は泣きじゃくりながら訴えた。 「翔さんとの婚約は、お母様が唯一私のために遺してくれたものなのに……」 乃優の母は、彼女がまだ幼い頃に亡くなった。母の喪が明けるのを待っていたかのように、父の健太郎は秋恵を後妻として成瀬家に迎え入れた。しかも、秋恵が連れてきた莉央は、乃優とたいして年が変わらなかった。父が母の存命中から長く裏切っていたことなど、子どもだった乃優にも嫌というほど分かった。 そんな母が、生前、ただ一つ乃優の将来のために整えてくれたのが、柏木翔との婚約だった。だから乃優にとって、その縁談は単なる家同士の約束ではなかった。亡き母が、冷たい成瀬家に残してくれた最後の庇護だった。 数秒の沈黙の後、結菜が意を決したように声を潜めた。 『乃優、処女膜の再生手術を受けなよ』 「え……?」 予想外の提案に、乃優は言葉を失った。そんな考えは、微塵も浮かばなかった。 『今、それしか方法はないでしょ。婚約さえ続いていれば、あんたのお父さんだって無理強いはできないはず』 結菜は力強く言った。 『絶対に秘密厳守で、腕のいい有名な先生を知ってる。私が連絡してあげる』 絶望の闇の中に差し込んだ、一本の細い蜘蛛の糸。乃優は、震える声でそれに頷いた。 電話を切ると、乃優の瞳に再び微かな光が灯った。階下から、父が自分を呼ぶ声がする。部屋を出ると、健太郎が厳しい顔で立っていた。 「鷹司家との縁談、覚悟を決めて準備しろ」 それは命令だった。乃優は握りしめた拳に力を込める。そして、初めて父の目を真っ直ぐに見据え、冷たく言い放った。 「お断りします」 その反抗的な態度に激昂した健太郎の手が、乾いた音を立てて乃優の頬を打った。 「お前に拒否権などない!」 火花が散るような痛み。しかし、乃優の瞳は揺らがなかった。彼女は一言も発さず、燃えるような頬を押さえたまま、静かに踵を返して自室に戻った。 この一撃で、父に対する最後の幻想は木っ端微塵に砕け散った。 その頃、鷹司グループの総帥執務室では、秘書の田中誠が鷹司暁に報告を行っていた。 「総帥、例の女性の身元が判明しました。成瀬家の長女、成瀬乃優。現在、柏木グループの柏木翔氏と婚約関係にあります」 暁は渡された資料に目を落とした。そこに写る乃優は、清楚で穏やかな笑みを浮かべている。あの夜の意地っ張りな姿とは、まるで別人だ。 面白い。 暁の口元が、微かに吊り上がった。 「引き続き監視しろ。彼女の一挙手一投足、全て報告しろ」 冷たい命令が下される。 ほどなくして、結菜からメッセージが届いた。神宮寺西陵医師の手術の予約が、明日の午後で取れたという。乃優は携帯に表示された病院の住所と医師の名を見つめ、固く決意を固めた。 彼女は知らない。結菜とのメッセージのやり取りも、通話の記録も、全てが監視されていることなど。 田中の新たな報告書が、暁のデスクに置かれた。 「目標人物、成瀬乃優。神宮寺クリニックにて、婦人科のプライベート形成手術を予約」 「手術」という二文字を見た瞬間、暁の瞳が昏く沈んだ。 すっくと立ち上がった彼の全身から放たれる威圧感に、広大な執務室の空気が凍りつく。 「俺の痕跡を消すだと?」 低い、地を這うような独り言が漏れる。 「させない。絶対に」

現在読めるのはここまでです。

読み進めると物語が続きます。

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  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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