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チャプター 3 ちゃんと優しくしてやる
夏目詩織の視点
桐山樹がこんなに早く戻ってくるとは思わなかった。
私が口を開く間もなく、樹は大股で歩み寄り、スーツケースを閉じようとした私の手首を有無を言わさず掴み上げた。その力は驚くほど強かった。
荷造りされたスーツケースを見て、彼は詰問するように言った。「あの贈り物は藍の祝いの品だと説明したよな。今すぐ荷物をまとめるってのは、俺への当てつけか? 家出ごっこのつもりか?」 詩織、お前は狼の群れのルーナとして、もっと分別を持つべきだと何度も言っただろう」 整った、されど冷酷な彼の顔を見つめていると、言い知れぬ無力感と苦さが胸の奥に込み上げてきた。
彼はいつもこうだ。私の苦しみを、すべて理不尽な駄々こねだと決めつける。
こんな時に彼と無益な争いをする気はなかったし、あの契約解除の書類の存在を悟られるわけにもいかなかった。
「駄々をこねているわけじゃない」
私は目を伏せた。 「ただ、クローゼットの中の古いものが多すぎると思って。季節の変わり目だし、整理して捨てようと思っただけ。 新しいものが入ってくれば古いものは出ていく」
樹は私のことをじっと見つめ、その言葉の真偽を確かめるように探っていた。
私の表情が穏やかで、いつものような悲しみや恨みの色がないのを見て、彼の顔つきは少し和らぎ、私を拘束していた手を放した。「そう思えるなら、それが一番だ」
「樹?」
突然、甘えたような声がドアのところから聞こえた。
私ははっと顔を上げ、薄手のシルクのロングドレスに、樹の匂いが染みついた男性用のジャケットを羽織った藤森藍が立っているのを見た。
彼女はドア枠に寄りかかり、顔色は青白く、今にも折れてしまいそうな可憐な花のようだった。
「どうして藍がここに?」私は無意識に口に出し、心臓を何か鋭いもので突き刺されたような痛みを感じた。
「藍はしばらくこの家に滞在する」 樹は彼女のそばに歩み寄り、ごく自然にその肩を抱いた。その手慣れた仕草が、痛いほど目に焼き付く。 「最近、彼女のファンが少し過激になってな。仮住まいまで突き止められたらしい。あそこは安全じゃない。
彼は私の方を振り返り、警告するような眼差しを向けた。「彼女をしっかりもてなせ。ルーナであるお前が、群れの仲間を故意に排斥したなんて噂は聞きたくない。 分かったか?」
肩を並べて立つ二人の姿を見て、この光景があまりにも理不尽でならないと思った。
私の番が、彼の初恋の相手を、私たちの新居に連れてきて、その上、私に「もてなせ」と言う。
「ええ」 私は自嘲的な笑みを浮かべた。「ちゃんと、おもてなしさせていただきます」
使用人たちはすぐに忙しく動き出した。私の寝室の隣、本来なら将来の子供のために用意されていたはずのベビールームが、今は藍の寝室となった。
樹は自ら彼女の部屋の準備を手伝い、使用人に彼女のお気に入りのラベンダーのアロマを焚くよう、細かく指示まで出していた。
隣の部屋から聞こえてくる楽しげな笑い声は、鋭いやすりのように、ただでさえ傷だらけの私の心を、さらに削り取っていく。
夜が更け、私は疲労と激しい痛みに耐えながら浴室へ向かった。
温かいシャワーが体を洗い流す。だが、肌に残る冷たさまでは洗い流せなかった。
鏡に映る自分の青白い顔と、事故で胸に残った青紫の痣を見て、ついに涙が溢れ出した。
あと六日。
あと六日だけ耐えれば、私は完全に解放される。
シンプルなキャミソールタイプのシルクのネグリジェに着替えて浴室を出た。湯気でかすむ視界の中、部屋に誰かがいることには気づかなかった。
「きゃっ!」
足元が滑り、私は悲鳴を上げてバランスを崩し、後ろに倒れ込んだ。
予想した痛みは訪れず、熱く逞しい腕が私を受け止めた。
樹の大きな手が私の腰をしっかりと抱き寄せ、もう一方の手が後頭部を支え、私をその胸に押し当てた。
彼から放たれる、強く侵略的なシダーウッドの香りが、一瞬にして私の感覚を支配した。
「どうした、歩き方まで忘れたのか?」彼の声は低く、かすれていた。
「放して……」私は体勢を立て直そうともがいた。「あなた……藍のところに行かなくていいの?」
樹の眼差しが暗くなった。彼は私を放すどころか、さらに強く抱きしめた。 彼の指先が私の濡れた髪を伝い、首筋へと滑る。そこは、狼人にとって最も敏感な腺体がある場所だった。
「詩織、忘れるな。俺はお前の番だ」 彼は顔を近づけ、熱い吐息が私の鎖骨にかかる。小さな震えが走った。「昨夜は俺たちの記念日だった。たっぷり埋め合わせてやると言っただろう」
彼の手が落ち着きなく上へと動き出す。荒れた指先が私の滑らかな肌をなぞるたび、知らない熱が弾けた。
結婚して三年。彼は私の感情をどう揺さぶればいいか、知り尽くしていた。
「や……んっ……」
拒絶の言葉は、彼の強引なキスによって喉の奥に封じ込められた。
そのキスに温もりはなく、罰を与えるような独占欲に満ちていた。
彼は私の歯列をこじ開け、狂ったように呼吸を奪い、まるで私を丸ごと食い尽くそうとしているかのようだった。
私は大きなベッドに押し倒され、彼の重い体が覆いかぶさる。
もつれ合う中でシルクのネグリジェが滑り落ち、雪のように白い肌が露わになった。
樹の瞳に、原始的な欲望の炎が燃え上がる。彼のキスは私の首筋から下へと移り、鎖骨に生々しいな赤い痕がいくつを残した。
「樹……」私は混乱しながら彼の肩を掴み、爪がその筋肉に食い込んだ。
この瞬間、私は恥ずかしながら、彼の甘い罠に溺れ、この最後の偽りの温もりを貪りたいとさえ思ってしまった。
彼の手がネグリジェの裾から忍び込み、その掌の熱は驚くほど高かった。彼が最後の一線を越え、私を完全に支配しようとした——その時だった。
「きゃあ!樹!助けて!」
隣の部屋から、藍の甲高い悲鳴が突然響き渡った。
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