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第3章 おかえり
桜丘レジデンス。
谷口大輝は一晩帰らず、翌日の昼になってようやく別荘に戻った。
寝室のドアを開けると、彼の視線はベッドサイドテーブルに置かれた離婚届に釘付けになった。
離婚届にはこう書かれていた。「女性は自ら夫婦の共有財産をすべて放棄し、身一つで家を出ることに同意する」
彼はその1枚の紙を握りしめ、指の関節がゆっくりと白くなっていく。
平野遥香に電話をかけた。
電源が切れている。
もう一度かける。
やはり電源が切れていた。
「井上さん!」彼は階段の踊り場に立ち、氷のように冷たい声で叫んだ。
井上和子がキッチンから駆け寄ってきた。「若様、お戻りになられましたか?」
「奥様は?」
「奥様は……今朝早くにお出かけになりました。スーツケースを一つお持ちで」 井上は恐る恐る言った。「ですが、数億円はするような高級車でお迎えが来ていました。 お迎えの男性はとてもハンサムで、いかにもお金持ちという感じでした」
大輝の目つきが一瞬で冷たくなった。
彼は寝室に戻り、携帯電話を手に取って秘書の沢田結翔に電話をかけた。「調べろ。奥様がどこへ行ったか。 今日中に、居場所を突き止めろ」
電話を切ると、彼は窓辺に立ち、こめかみがズキズキと痛んだ。
(遥香、よくも本当に去る気になったな)
彼は昨夜、彼女はただ癇癪を起こしているだけだと思っていた。
この三年間、この女はまるで絡みつく蔓のように自分にまとわりついてきた。
自分から離れて、顔に傷を負った女が、潮見市でどれほど生きられるというのか?
数日もすれば、すごすごと戻ってくるに違いない。
大輝は深く息を吸い込み、その離婚届をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
サインなど、するつもりは毛頭ない。
彼女に未練があるからではない。大輝の人生に、「捨てられる」という言葉は存在しないからだ。
昨夜離婚を切り出し、今日には高級車で迎えに来た。きっと、ずっと前から計画していたのだろう。
彼女は心の底から自分を愛したことなどなかったからこそ、こうもあっさりと他の男と去ることができたのだ。
フン。
遥香、大した度胸だ!
***
ロールス・ロイスがゆっくりと鈴木邸の敷地に入っていく。
遥香は車の窓越しに、見慣れたようでどこか見知らぬ景色を眺め、心臓が妙に速く鼓動した。
三年間。ようやく、この家に戻ってきた。
家の前では、父の鈴木大和と母の鈴木美咲がずっと前から待っていた。
車のドアが開く。
「遥香!」美咲が駆け寄ってきて、彼女を抱きしめた。子供のように泣きじゃくっている。「やっと帰ってきたのね。ずっと待っていたのよ」
遥香は優しく母の背中を叩いた。「お父さん、お母さん、ごめんなさい。心配をかけて」
ビジネス界の頂点に立つ鈴木大和も、その目が少し潤んでいた。「戻ってきてくれてよかった」
美咲は手を離し、涙をぬぐった。
そして、娘の顔にある傷跡に気づくと、全身が凍りついた。
「遥香、その顔……」美咲の瞳が痛みに揺れた。
娘は幸せに暮らしていると信じていた。
この数年、遥香はめったに外出せず、いつもいいことだけを伝えてきた。
結果は?
三年間、あの男のために顔を傷つけ、身分を捨て、馬車馬のように尽くしてきたのに、得られたものは、その男が別の女を連れてオークションで高値を吊り上げている姿だった。
鈴木陽翔が歩み寄ってきた。「お母さん、心配しないで。琉生の整形手術の腕は一流だって忘れたのか?」
「遥香の顔だって、きっと治せる」
遥香の目に一筋の光が戻った。「うん」
二番目の兄である鈴木琉生は、トップクラスの外科医だ。
そして三番目の兄、鈴木明希は有名なジュエリーデザイナーである。
「お父さん、お母さん、もう大丈夫。全部過去のことだから。これからはずっと二人のそばにいるから」 遥香は優しく二人を慰めた。
あの時の自分は、まるで飛んで火に入る夏の虫だった。
大和はため息をついた。娘の過去の選択を思うと、胸は痛むが、怒りも感じていた。
「ああ。数日ゆっくり休め。ちょうどパール・チャリティーパーティーがある。その時はお前と陽翔で出席しろ」
あの時はあまりにも目立たなかった。
だからこそ、あの連中は見る目がなく、娘を好き勝手に傷つけることができたのだ。
遥香はそれを聞いて、複雑な気持ちになった。
パール・チャリティーパーティーは、潮見市で最も格式の高いパーティーだ。
大輝と結婚してからの三年間、彼女は一度も参加したことがなかった。資格がなかったからだ。
大和は続けた。「お前が自分を取り戻すと決めたのなら、鈴木大和の娘が戻ってきたことを、皆に知らしめてやれ」
遥香はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
三年前、彼女は強情を張って身分を隠し、大輝と結婚した。両親は怒りのあまり、彼女と縁を切ろうとさえした。
今こそ、二人に償う時だ。
「うん、行く」
「ああ、それが俺の自慢の娘だ」
その後、大和は金縁の黒いカードを差し出した。
「これは限度額無制限のインペリアル・ブラックカードだ。鈴木家は金に困っていない。好きなものを好きなだけ買え」
遥香は漆黒のカードを見つめ、口元に笑みを浮かべた。
ほんの数分前まで、彼女は一文無しだった。だから、これはある意味、突然の億万長者ということになるのだろうか?
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