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「騒々しい」

重厚な樟木の上座の襖が静かに左右へ引かれ、乾いた杖の音が大広間の空気を一変させた。

遠藤執事に腕を支えられながら姿を現したのは、北条家の絶対的権力者である大旦那、北条宗太郎だった。八十を超えてなお鋭い眼光が座敷を一巡すると、先ほどまで香代を嘲笑していた貴子も瑠奈も、慌てて背筋を正して平伏した。

潤平もまた杯を置き、わずかに顎を引いて敬意を示す。

宗太郎の視線は、畳に手をつき、手の甲を赤く腫れ上がらせて青白く震えている香代の上で止まった。その眉が厳しく寄せられる。

「床が冷える。香代、わしの隣へ来なさい」

「お父様、この娘は今、給仕の手を煩わせてお茶をこぼし……」

貴子がすかさず口を挟もうとしたが、宗太郎の一瞥によって、その言葉は喉の奥へと押し戻された。宗太郎は、五年前に孫の潤平を命がけで救った恩人が香代であると信じているからこそ、一族の中で唯一香代を庇護し続けていたのだ。

「聞こえなかったのか。香代、立てるか」

「……はい、お祖父様」

香代は畳に両手をつき、失血による猛烈な立ちくらみに耐えながら身体を起こした。視界の端が黒く霞み、膝が笑う。それでも歯を食いしばり、一歩一歩、宗太郎の座る上座の脇へと進んで静かに腰を下ろした。

宗太郎はすぐに控えの女中に命じ、氷水と火傷の軟膏を持ってこさせると、香代の前に湯気の立つ葛湯を置かせた。

その一連の特別扱いを、向かいに座る潤平は冷ややかな目で見つめていた。

(恩を騙って祖父を誑かし、特別扱いを受けることだけは相変わらず手回しが良い)

潤平は心の中でそう吐き捨てようとした。だが、祖父の隣に座った香代は、以前のように「夫に振り向いてほしい顔」をしていなかった。ただ静かに頭を下げ、丁寧に礼を述べるだけ。その瞳には、誰にもすがりつかない絶対的な孤絶の色が宿っていた。

やがて運ばれてきた懐石料理の鮮魚の匂いが鼻腔を突いた瞬間、香代の胃が激しく痙攣した。流産直後の衰弱した肉体にとって、生ものの生臭さは耐え難い刺激だった。

(吐いては駄目……ここで倒れたら、すべてが狂う)

香代は膝の上の着物を指先が白くなるほど握りしめ、額に冷汗を滲ませながら耐え忍んだ。

宗太郎が体調を気遣う言葉をかけたが、香代は「少し風邪気味なだけでございます」と微かな笑みを取り繕って誤魔化した。

潤平はその様子を横目に、苛立ちを隠すように右手の人差し指の関節で自らのこめかみを強く圧迫した。いつもなら食事中も自分に気を配り、好物の料理を勧めてくるはずの妻が、今夜はまるで自分という人間がこの空間に存在しないかのように振る舞っている。その無視が、息苦しくてならなかった。

二時間を超える長い食事会がようやく終わりを告げ、宗太郎が疲労を理由に奥へと引き取ると、親族たちも潮が引くように広間を後にした。

香代は壁に手を当て、足を引きずるようにして薄暗い渡り廊下へと向かった。

冷水で顔を洗い、下着の出血の具合を確かめなければならなかった。身体の奥が重く軋み、一歩進むごとに、下腹部へ焼けた鉄板を押し当てられるような激痛が走る。

廊下の角を曲がった瞬間、暗がりから伸びてきた骨張った強い手が、容赦なく香代の痛む右手首を掴んだ。

「っ……!」

激痛に息をのむ間もなく強引に引きずり込まれ、冷たい杉の羽目板に背中が激突した。

見上げると、潤平の長身が覆いかぶさるように立ちはだかっていた。冷冽なシダーウッドの香水が、香代の感覚を暴力的に支配する。

「芝居は終わったのか」

潤平の手が香代の顎を乱暴に掴み上げ、無理やり上を向かせた。漆黒の瞳の奥で、暗い炎が揺らめいている。

「祖父の前で殊勝に震えてみせて、北条の正妻の座にしがみつく魂胆が見え透いていると言っているんだ。父親に嘘をつかせて祖父を騙しただけでは飽き足らず、いつまで恩人面を続ける気だ」

香代は逃げようともせず、ただ静かにその瞳を見据えた。そこには、かつて彼に向けられていた熱情も、懇願の色も、欠片ほども残っていなかった。

「何のことでしょうか、北条社長」

冷淡に響いた「北条社長」という他人のような呼称に、潤平の指先が一瞬、微かに強張った。

「……何だと?」

「ご安心ください」

香代は顎を掴む彼の手を、残された左手で静かに、だが確固たる力で押し返した。

「この席は、すぐにでもお譲りいたします」

潤平の額に青筋が浮かび上がった。右手を強く握り締めると、かつて火災で負った手の甲の古傷が赤く引き攣れる。

「よくもそんな白々しい嘘を……」

潤平がさらに間合いを詰め、唇が触れ合いそうなほどの至近距離で威圧した。苛立った吐息が肌をかすめる。

いつもならこの距離に怯え、あるいは胸を高鳴らせていたはずの香代の瞳は、まるで路傍の石を見るかのように冷え切っていた。

潤平が再び罵倒の言葉を浴びせようとした――その時、彼のスーツの内ポケットでスマートフォンが鋭い振動音を立てた。

苛立ちを滲ませて画面を取り出した潤平の表情が、表示された「優歌代」の文字を目にした瞬間、劇的に凍りついた。

掴んでいた香代の腕を乱暴に放り出すと、男は躊躇なく通話ボタンをスライドさせ、耳に当てた。

「優歌代か? どうした」

その声は、数秒前まで香代に向けられていたものとは完全に別人だった。甘く、痛ましいほどの優しさに満ちていた。

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読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全68章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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