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彩音のマンションのリビング。ソファに深く腰掛けた静は、先ほど録画した監視カメラの映像をリプレイしながら、冷たく告げた。

「佐藤家は私がまだパリにいて、何も知らない愚かな女だと思い込んでいる。その優越感を、逆手に取るの」

「でも、リビングの防犯カメラの映像と音声だけじゃ言い逃れされるわよ。あいつら、財界に顔が利くし、『冗談だった』で済まされるかもしれない」

「ええ。健斗は寝室に監視カメラを設置していないから、遠隔ハッキングだけで二人の不貞そのものを録画することは不可能なの」

彩音は心配そうに言いながら、静の前に温かいコーヒーを置いた。

静はコーヒーには手もつけず、スマートフォンの地図アプリをテレビ画面にキャストした。指先が、麻布十番にそびえ立つ要塞のようなタワーマンションを正確に指し示す。

「だから、言い逃れ不可能な『公開処刑』のための弾丸が必要なのよ」

静は彩音から借りたノートパソコンを開き、あらかじめ用意していた灰色の作業着を取り出した。清掃員の制服だ。

「明日の夜、佐藤家が主催する財界のチャリティーパーティーがあるわよね? そこが、奴らの処刑場よ。 その前に、最高画質の『証拠』を仕込んでくる」

深夜十一時。念には念を入れ、静はスマートフォンから健斗にLINEの音声通話をかけた。

数回のコールの後、背後からジャズの生演奏と女性の嬌声が漏れ聞こえる中、健斗が電話に出た。

『……静? どうしたんだ、こんな時間に』

「ごめんなさい、健斗さん。論文が少し行き詰まってしまって……」

静は、いつもの従順で甘えるような声色を、虫唾が走るのを堪えながら完璧に演じきった。

「今、パリの図書館なの。少しだけ、あなたの声が聞きたくなって」

『そうか。無理はするなよ。俺は今、銀座で取引先と会食中だ。愛してるよ、おやすみ』

健斗は心底安心したようにありきたりな嘘を吐き、一方的に通話を切った。

静の唇に、氷のような冷笑が浮かぶ。

これで、麻布十番のマンションが空室であることは確定した。

彼女は長い髪を帽子の中にしまい込み、大きなマスクで顔を覆うと、清掃用具入れの底に超小型の4Kカメラを忍ばせ、夜の街へと溶け込んだ。

——

清掃員の制服は、完璧な「透明人間」の盾だった。

他の住人に紛れてオートロックを抜け、事前にハッキングで入手した暗証番号を入力し、重厚なドアを静かに開ける。

リビングを抜け、まっすぐ主寝室へ向かう。

椅子を足場にして、キングサイズのベッドを真正面から見下ろすエアコンの吹き出し口に、カメラを慎重に固定する。指紋一つ残さないよう、持参した特殊なクロスで触れた場所を執拗に拭き上げた。

完璧だ。あとは録画アプリを起動して立ち去るだけ。

静がそう思い、椅子から降りようとした、まさにその瞬間だった。

ピピッ。ガチャリ。

玄関の電子錠が解除される無機質な音が、静かな室内に雷鳴のように響き渡った。

静の心臓が、肋骨を突き破らんばかりに跳ね上がった。血液が逆流し、手足の先が急激に氷のように冷たくなる。

「銀座にいる」というアリバイは嘘だったのか。それとも、予定を早めて帰ってきたのか。

「あー、酔ったわぁ。健斗様ぁ、早くシャワー浴びましょうよぉ」

玲奈の甘ったるい声と、健斗の靴音が、リビングを通って真っ直ぐに寝室へと向かってくる。

逃げる時間はない。

静は音を立てずに素早くベッドの横を滑り抜け、壁一面に備え付けられた巨大なウォークインクローゼットの中に身を滑り込ませた。

ルーバー状の扉の隙間から、寝室の様子が微かに見える。

静は自らの口を両手で強く塞ぎ、呼吸すらも止めた。背中を冷たい汗が滝のように流れ落ちていく。

「おい玲奈、引っ張るなよ。まずは明日のパーティーの準備の確認だ」

ベッドに倒れ込んだ健斗が、玲奈の頭を撫でながら言う。

「準備って……ああ、あの『深海の涙』のこと?」

その名前を聞いた瞬間、クローゼットの中の静の瞳孔が限界まで収縮した。

『深海の涙』——それは、没落時に佐藤家が「一時的に預かる」という名目で強奪していった、静の亡き母の形見のブルーサファイアのネックレスだ。

「そうだ」健斗が極めて下劣な笑い声を上げる。

「明日、あれをチャリティーオークションの目玉として出品する。西園寺のババアの遺品がいくらで売れるか見ものだな。その金で、俺たちモルディブにハネムーンに行こうぜ」

「最高! でも、静お姉様がうるさくない?」玲奈が健斗の胸を指でなぞる。

「あの退屈で不感症な木偶人形か? 土地の権利書にサインさえさせたら、適当に睡眠薬でも飲ませて、ホームレスのベッドに放り込んで写真を撮るさ。『名門・西園寺家の令嬢、薬物と乱交スキャンダル』……これで慰謝料一円も払わずに、ゴミ箱へポイだ」

「ふふっ、ひどぉい! でも私、お姉様が路頭に迷って泣き叫ぶ顔、特等席で見たいわ!」

静の胃がせり上がるような激しい吐き気を覚えた。ただの浮気ではない。彼らは静の尊厳を泥で汚し、母の思い出を自分たちの快楽の資金に変えようとしているのだ。

「あ、やだ。ピアス落としちゃった」

突然、玲奈がベッドから立ち上がった。

その足先が、真っ直ぐに……静が潜むクローゼットの方へと向かってくる。

コツ、コツ、コツ。

ハイヒールの音が、死神のカウントダウンのように響く。

静は両手で自らの口と鼻を死ぬ気で塞ぎ、壁の奥へと身体を押し付けた。肺が酸素を求めて悲鳴を上げる。心臓の音がうるすぎ、外に聞こえてしまうのではないかと錯覚した。

玲奈の赤いマニキュアを塗った指先が、クローゼットの扉のすぐ下の床に伸びる。

ルーバーの隙間越しに、玲奈の顔がわずか数センチの距離に迫った。彼女のアイラインの跳ね上げまでが、はっきりと見える。

もし今、玲奈が顔を少し上げれば、隙間から静と確実に目が合う——!

「玲奈、ピアスなんて後で買えばいいだろう。早くこっち来いよ」

背後から健斗の欲情した声が響いた。

「もぉ、健斗様ったら、せっかちね」

玲奈は床を探るのをやめ、立ち上がって健斗の腕の中へと戻っていった。

二人が衣服を乱暴に脱ぎ捨てながら、バスルームへと消えていく。シャワーの水音が鳴り響き始めた。

助かった。

静はクローゼットから音もなく這い出し、二人が落とした衣服を一瞥もせず、玄関へと向かった。

震える手でドアを開け、外の廊下に飛び出す。非常階段を駆け下りる間、彼女の心臓は怒りで爆発しそうだった。

——

彩音のマンションに戻った静は、汗で張り付いたマスクを乱暴にむしり取った。

「静!? 大丈夫だった!? 顔が真っ青よ!」

駆け寄る彩音のスマートフォンには、たった今静が仕掛けてきたカメラから送られてくる、二人の生々しい「行為」の映像が映し出されていた。

「証拠はバッチリ録画できてるわ。これで婚約破棄して、慰謝料ふんだくってやりましょう!」

彩音が息巻くが、静の瞳には、もはや人間らしい感情は欠片も残っていなかった。漆黒の瞳の奥で、青白い地獄の炎が燃え盛っている。

「慰謝料なんて生ぬるいもので終わらせるもんですか」

静はシャワーの冷水で顔を洗いながら、鏡に映る自分を真っ直ぐに見据えた。

「明日の夜、佐藤家が主催するチャリティーパーティー……。数百人のVIPが集まるあの豪奢な会場の巨大スクリーンに、今録画しているこの極上の『交尾映像』をノーカットで流してやるわ」

静の唇から、美しくも残酷な笑みがこぼれ落ちた。

「佐藤健斗、藤川玲奈。明日の夜、あなたたちの栄光の絶頂を、最も無惨な公開処刑の舞台に変えてあげる」

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読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全100章

  1. 第1章チャプター 1 No.1
  2. 第2章チャプター 2 No.2
  3. 第3章チャプター 3 No.3

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