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琴梨の言葉が落ちた瞬間、宴会場の時間は止まった。 死のような静寂の後、津波のような議論の渦が巻き起こった。 「何を言っているんだ、あのお嬢さんは」 「正気か?」 「福山家に対する、これ以上ない侮辱だぞ」 福山家の親族たちは、顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。 「関本さん!」 最初に立ち上がったのは綾子だった。 彼女は琴梨を指さし、金切り声で叫んだ。 「あなたの分をわきまえなさい!ここは、あなたが無礼を働いていい場所ではありませんことよ!」 琴梨は冷たい視線を綾子に向けた。 「私が無礼を働いているかどうかそれを決めるのは、福山家の主人である方々でしょう」 その一言で、綾子の身分を黙らせる。 綾子は分家の嫁に過ぎない。 全ての視線が、福山家の最高権力者、大奥様の福山静江に注がれた。 静江は手に持った杖で、とんと一度だけ床を軽く叩いた。 それだけで、あれほど騒がしかった会場が、再び静寂を取り戻す。 彼女は琴梨を見なかった。 代わりに、隣に座る息子、尚志に視線を送った。 その目には、どうする、という問いかけが浮かんでいる。 尚志は微かに首を横に振った。 母上にお任せします、と。 彼の深く底の知れない瞳が、舞台上の琴梨に注がれている。 その目には、探るような色と、そして誰も気づかないほどのわずかな称賛の色が混じっていた。 静江はゆっくりと立ち上がった。 そして、一歩、また一歩と、琴梨の元へ歩み寄る。 小柄な老婆だが、その存在感は会場の誰よりも大きい。 「お嬢さん」 静江の声は大きくない。 だが、腹の底に響くような凄みがあった。 「今日のあなたの言葉が、あなた自身と関本家に、どのような結果をもたらすかわかっているのですか」 琴梨はその強大なプレッシャーから、一歩も引かなかった。 彼女は静江の目を、まっすぐに見返す。 「わかっておりますですが、どんな結果になろうと、全東京の笑いものになり、実家から勘当されるよりは、ましでございます」 その言葉は、自らの絶望的な立場を明確にすると同時に、この事態を招いた福山家の責任を、暗に突きつけていた。 静江はしばらく黙っていた。 その鋭い眼光の奥で、冷徹な計算が巡らされているのを、琴梨は感じ取った。 修明のスキャンダルは、もはや隠しようがない。 この上、関本家を恨みを抱いたまま帰せば、福山グループの社会的信用は地に落ちるだろう。 この娘の要求は無茶苦茶だが、ここで彼女を切り捨てることが、福山家にとって最善の策だろうか。 ふと、静江の口元に笑みが浮かんだ。 その場にいる誰もが、意表を突かれた。 「……面白い。胆力のある娘だ」 彼女はくるりと背を向け、招待客たちに向かって朗々と声を張り上げた。 「修明がこのような醜態を晒しましたこと、福山家の教育不行き届きであり、関本嬢にはまことに申し訳なく思う」 その言葉は、福山家の非を公式に認めるものだった。 そして、次なる決定への布石でもあった。 「よろしい。その願い、聞き届けよう。福山家の未婚の男子、好きな者を選ぶがよい!」 静江の決定に、会場は三度どよめいた。 綾子や奈緒は、信じられないというように顔面蒼白になっている。 老婦人がこのような譲歩をするとは。 静江が執事に命じると、すぐに福山家の未婚で適齢期の男性が、舞台の前に呼び出された。 前に進み出たのは二人。 尚志の弟である次男の修宏と、いとこにあたる四男の修文。 二人とも分家の人間だが、見目麗しい青年たちだった。 修宏は、琴梨を品定めするような、いやらしい目で見ている。 まるで、棚からぼた餅が落ちてきたとでも言いたげな、貪欲な光。 一方の修文は、気弱そうに俯き、琴梨と目を合わせようともしない。 「この二人だ。どちらを選ぶ?」 静江が琴梨に問うた。 琴梨の視線が、二人の上をさっと滑る。 そして、彼女の唇に侮蔑の色を帯びた笑みが浮かんだ。 「この方たちですか?」 彼女はゆっくりと首を横に振った。 「私には相応しくございません」 その言葉に、修宏の顔が侮辱に歪んだ。 まさか、公衆の面前で自分が拒絶されるとは、思ってもみなかったのだろう。 静江の眉も、ぐっと寄せられた。 「どういう意味だ我らをからかっているのか」 琴梨は答えなかった。 彼女の視線は、舞台の前の二人を通り越し、会場の全ての人間を通り越し、ただ一点に注がれていた。 最初から最後まで、ただ一人沈黙を守り、しかし誰よりも強い存在感を放っている男。 琴梨はすっと右腕を上げた。 白魚のような細く長い指が、ゆっくりと、しかし確信に満ちた動きで、その男を指し示した。 会場の全ての視線が、彼女の指の先に吸い寄せられるように動いていく。 そして最後に、福山グループ会長、福山修明の養父である、その男の上でぴたりと止まった。 時間が凍りついた。 琴梨の声が再び響き渡る。 それはどこまでも明瞭で、決然とした声だった。 「私が結婚するお相手は、この方――福山尚志様です」

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章一覧

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  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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