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チャプター 2 ここを撃て
広瀬南璃は深く息を吸い込み、矢野蓮と視線を合わせた。その瞳は、一点の曇りもなく澄み切っていた。「私がこの子を産むかどうかは、私の意思次第よ」
彼女は蓮の銃口を自ら掴み、自分の腹部へと押し当てた。
「ここを撃て」
蓮の表情がわずかに固まったが、すぐに低く冷笑を漏らした。その笑い声には、どこか残酷な愉悦が滲んでいた。
彼はふいに身をかがめ、細く長い指で南璃の耳元の髪をかき上げた。その声は優しげでありながら、氷のように冷たい。「南璃ちゃん、悪い子だ」
「大輔」蓮が手を上げると、全身の筋肉が隆起した南アメリカ出身のスキンヘッドのボディガードがすぐに前に出た。
「矢野様、ここに」
蓮は視線を落とし、手にした銃をゆっくりと弄びながら言った。
「誰かを探して、そいつの腹のガキを始末しろ」
「最高の医者を手配しろ」
「かしこまりました、矢野様。すぐに手配します!」
南璃は息を呑み、枕カバーの下に隠しておいたパスポートと身分証明書を無意識に掴もうとした。
だが、指は空を切り、柔らかい枕の下には何もなかった……。
「これを探していたのか?」
男の気だるげな声が頭上から降ってきた。
南璃が顔を上げると、蓮が茶色の小さなパスポートを手に、見下ろすように立っていた。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。
「返して!」
南璃はパスポートを取り返そうと飛びかかったが、男の広い胸の中に抱きしめられただけだった。
蓮は彼女の耳元に顔を寄せ、優しく囁くように言った。
「こんな大事なものは、俺が南璃ちゃんの代わりに預かっておいてやる」
彼の体から漂う香と血の匂いを嗅ぎ、南璃は一瞬、意識が遠のいた。
「国へ帰して。子供は堕ろすから」 彼女は彼の腕の中で力なく目を閉じ、その声はほとんど懇願に近かった。
「それはできない。南璃ちゃんはいい子にしていないと」
その声は誘惑するようでありながら、脅しを含んでいた。
「着替えて、階下で食事だ」
南璃は歯を食いしばった。目の前の男は悪魔だと分かっていた。彼に逆らう術はない。
「分かった」
南璃は蓮が買ってくれたディオールオートクチュールのドレスに着替え、部屋を出た。
カジノとプライベートレストランの間には、長い通路があった。暗赤色の豪華絢爛な装飾が、彼女の目を眩ませる。
突然、彼女はガサガサという物音を聞いた。通路の脇にある小さな鉄の扉が、まるで鼠が潜り込もうとでもするかのように、開いたり閉じたりしている。
彼女は足早に歩き出した。その時、血に濡れた手が彼女の足首を掴んだ!
南璃は悲鳴を上げた。地面に転がる塊が、必死に扉の外へ這い出ようともがいている。奇妙なうめき声も聞こえた。
南璃は逃げ出そうとしたが、その手はますます強く彼女を掴み、声も一層凄まじくなった。
「アイウト!アイウト!(助けて!助けて!)」
南璃はついに聞き取った。あのモノはイタリア語で「助けて」と叫んでいるのだ。
彼女の脳裏に、不吉な予感が閃いた。
「スティーブ……なの……?」彼女の声は震え、足元を直視することができなかった。
その塊は泣きじゃくり、熱い涙と血が混じり合って南璃の足の甲に滴り落ち、べとべととまとわりついた。
彼女は信じられない思いで足元を見下ろした。そこにいたのは、顔がひどく損傷した男だった。丸々とした頭には、両耳がなくなっている。
男が着ている血に染まったピンク色のスーツのシャツがなければ、南璃は彼が自分を借金のカタに売り飛ばしたイタリア人の元夫、スティーブだとは信じられなかっただろう。
スティーブの輝く金髪は剃り落とされ、かつて多くの女性を魅了した青い瞳は片方えぐり取られていた。高く通っていた鼻は半分が切り落とされ、二つの穴だけが残っている。
南璃は恐怖で言葉を失った。
突然、節くれだった手が南璃の肩にそっと置かれ、気だるげな声が耳元に響いた。
「聞くな。こいつは舌がないから、まともに話せない」
南璃が勢いよく振り返ると、蓮が背後に立っていた。その瞳は冷淡だったが、口元には軽蔑の色が浮かんでいる。 彼はわずかに身をかがめ、彼女の耳元に顔を寄せた。
「南璃ちゃんを不快にさせる奴は、見る必要はない」
彼は何気なく彼女の腰を抱き寄せ、扉から引き離した。そして足を上げ、地面に転がる“それ”を慣れた動作で脇へと蹴り飛ばした。
彼の香水の匂いと血の匂いが混じり合い、通路は不気味な空気に満ちていた。
南璃は胸が締め付けられ、こみ上げてくるものを抑えきれずに嘔吐した。
「怖かったか?」蓮はしゃがみ込み、汚れたドレスの裾とハイヒールを、優しくハンカチで拭った。
その時、レストランの入り口に立っていたSPが素早く駆け寄り、蓮の耳元で小声で囁いた。「矢野様、お……お客様が……」
蓮は気だるげに目を上げ、海老の背わたを取り除きながら、気のない声で言った。「忙しい」
SPはためらい、南璃に視線を送った。明らかに何かを隠している。「そ……それが……ジーナさんで……」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、『ドン!』という轟音とともに、扉が乱暴に蹴破られた。ドア枠の破片が四方に飛び散る。
硝煙の中、長身で美しい女がAKライフルを構えて入ってきた。 ミンクのコートの下には精悍で華やかな顔立ちがあり、冷艶さの中に傲慢な気配を漂わせている。
蓮の瞳がわずかに揺れたが、すぐに冷淡な表情に戻った。
彼は煙草を咥えて笑みを浮かべ、からかうような口調で言った。「扉が壊れたぞ。弁償してくれるのか?」
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