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翌朝。 東海林家の重厚な扉を開けると、待っていたのは父・東海林健吾の怒号だった。 そして乾いた音と共に、美雪の頬に激しい痛みが走った。 「この恥さらしめが!」 健吾は怒りに顔を歪め、手に持っていた新聞を美雪の顔に叩きつけた。一面には昨日の婚約披露宴での「醜聞」が扇情的な見出しと共に掲載されている。 「東海林財閥令嬢、婚約パーティー当日に密会!」 「お父様、やめて!お姉様もわざとじゃないのよ!」 義妹の奈々が猫なで声で父を止めに入る。その瞳の奥には隠しきれない愉悦が浮かんでいた。 美雪は燃えるように痛む頬を押さえ、父と義妹をまっすぐに見据えた。 「私は奈々に薬を盛られました」 静かではっきりとした声で事実を告げる。 だが健吾は聞く耳を持たなかった。 「まだそんな嘘を言うのか!見苦しい!」 怒りはさらに燃え上がり、彼は震える指で美雪を指差した。 「お前はもはや東海林家の人間ではない!ただ今をもってお前を戸籍から抜く!二度とこの家の敷居を跨ぐな!今すぐ出ていけ!」 勘当。 美雪は懇願も弁解もしなかった。 ただ一言静かに告げた。 「この家に私の方から戻ることはありません」 数時間後、彼女は小さなスーツケース一つで東海林の屋敷から追い出された。 降りしきる冷たい雨が彼女の体を打ちつける。行く当ても金もなかった。人生の全てを一日にして失ったのだ。 降りしきる冷たい雨の中、美雪は激しい吐き気に襲われた。 それから約二か月後。 安宿の薄暗い灯りの下、震える手で握りしめた妊娠検査薬には、くっきりと二本の線が浮かんでいた。 「……この子たちだけは、私が守る」 絶望の淵で、彼女の瞳に冷徹なまでの意志が宿った。 かつて父に禁じられた医学への道を、彼女は自らの力で切り拓くことを決意する。 母が密かに遺してくれたわずかな貯金を手に渡米した彼女は、過酷な労働の傍ら、双子を育てながら奨学金で名門医学部を首席卒業。その神業とも言える執刀技術は、いつしか彼女を「死神から命を奪い返す者――Ada」と呼ばれる天才外科医へと変貌させていた。 ――時は流れ、六年後。 羽田国際空港の到着ロビーに、凛とした空気を纏った一人の女性が降り立った。 東海林美雪。 六年前の面影はあるが、その雰囲気はまるで別人だった。かつての令嬢らしい儚さは消え、自信と知性に満ちた近寄りがたいほどの美しさを放っている。 彼女の傍らには五歳ほどの双子の男女が寄り添っていた。 男の子は母親譲りの整った顔立ちに、歳不相応な冷静さを浮かべている。女の子は天使のように愛らしく、好奇心旺盛な瞳で周りを見渡していた。 「ママ、ここが日本の空港?」 女の子・莉子が美雪の手を握りながら尋ねる。 「そうよ莉子。今日からここで暮らすの」 「ふん。湿度が高いな」 男の子・蒼真は小さなスーツケースを自分で引きながらぶっきらぼうに言った。 美雪が微笑んだその時、ポケットのスマートフォンが震えた。 知らない番号からの着信。 ためらいながらも通話ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえてきた。東海林家に長年仕える家政婦の鈴木梅だった。 『お嬢様!美雪お嬢様でいらっしゃいますか!?』 声はひどく狼狽えていた。 『大変なんです!大奥様が……!大奥様のご容態が!』 美雪の表情が凍りついた。 祖母の静江。東海林家で唯一彼女を心から愛してくれた人。 「おばあ様がどうしたの!?」 『急性の心不全で……!病院の先生がもう手の施しようがないと……!』 美雪の頭の中で何かが切れる音がした。 彼女はすぐさま病院名と病状を正確に聞き出した。東都大学附属病院。急性心筋梗塞による重度の心不全。すでに危篤状態。 電話を切った美雪の瞳には、先ほどまでの穏やかさはなかった。鋭く決意に満ちた光が宿っている。 「ママ、おばあちゃんどうしたの?」 莉子が不安そうに見上げてくる。 美雪はしゃがみ込み、二人の子供の頭を優しく撫でた。 「大丈夫。ママはお医者さんだから。ママがおばあちゃんを助けに行くわ」 その声には絶対的な自信が満ちていた。 「ママ、僕にできることは?」 蒼真が冷静に問い、ポケットから子供用とは思えない高性能なタブレットを取り出した。 「蒼真は莉子のことをお願い。まずは落ち着く場所へ行きましょう」 美雪はタクシーを止めると、運転手に麻布にある住所を告げた。そこは彼女が海外にいる間に自分の稼ぎで購入しておいた小さなクリニックだった。 車窓を流れる東京の景色。六年前の屈辱が昨日のことのように蘇る。 だが今の彼女はもうあの頃の無力な少女ではなかった。 この六年間、彼女は死に物狂いで勉強し働いた。子供を育てながら医学界で誰もがその名を恐れ敬う存在となったのだ。 天才外科医「Ada」。それが彼女のもう一つの顔だった。 おばあ様、待っていてください。 そして私から全てを奪った人たち。覚悟していなさい。

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章一覧

全60章

  1. 第1章第1章
  2. 第2章第2章
  3. 第3章第3章

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