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チャプター 2 その芝居、もう見飽きた

荷物をまとめ、屋敷を出た瞬間、米澤みずきはかつてないほどの開放感を覚えた。

空っぽの屋敷で、名ばかりの矢吹夫人として過ごす日々は、もううんざりだった。夫の矢吹駿が次々と巻き起こす女性関係の噂に堪えながら、矢吹家のお爺様を除く全員からの嫌がらせにも、ただじっと耐え続けてきた。

駿は、心に抱く初恋の人のため、彼女と一度も夜を共にすることはなかった。それでいて、なぜ子どもができないのかと周囲から責められるたび、すべての責任を彼女に押し付けてきたのだ。

彼女は、何の問題もない身体のために、まずい漢方薬を何杯も飲まされ、奇妙な民間療法をいくつも試させられた。

どんな感情にも、尽きる日は来る。この三年間は、かつて彼に命を救われた恩を返すためのものだったのだと、そう思うことにした。

「リンリンリン!」

追憶に浸る彼女を、けたたましい着信音が現実に引き戻した。

みずきはタクシーを拾おうと手を挙げながら、電話に出た。

「ヤバい!今すぐ、私が送った動画を開けて。十秒以内に、どの馬が勝つか当てて!」

電話の向こうから、三好芽依の騒々しい声が響いてきた。

みずきは眉をひそめ、チャット画面を開いた。荷物をまとめるのに夢中で、メッセージに気づかなかったのだ。

動画には、広大な敷地に精巧な建築物が立ち並ぶ、豪華絢爛な馬場が映っていた。まるでどこかの富豪の私有地といった趣だ。

一発の銃声が響き、十頭の駿馬が一斉に駆け出した。どの馬も鍛え上げられた肉体を持ち、風のように速い。

「早く、早く!」

向こうでは芽依が、緊張した声を張り上げている。どうやらレースにすっかりのめり込んでいるようだ。

「三番の馬に賭けなさい」

みずきは電話でそう答えながら、不動産仲介サイトを開いた。

彼女が葵崎市に来て間もなく、矢吹のお爺様に出会い、矢吹駿との結婚が決まった。あまりに急な話だったため、自分の持ち家すら買う暇もなかったのだ。

結婚後は別荘に閉じ込められ、その考えもすっかり消え失せていた。離婚した今、住む場所を確保しなければならない。

「三番? ないない、あの馬は歳食ってるっぽいし。二番の馬の方が勢いあるじゃん!」

芽依の声には疑念が混じっていた。

「この馬場は新設で、コース設計にまだ甘いところがあるの。次のカーブ、角度がきつすぎる。若い馬はあそこでバランスを崩しやすい。でも、経験を積んだ馬ならうまく処理できる——」

「あああああああ!」

芽依が突然、耳をつんざくような大声で叫んだ。

「マジで転んだ!みずき、お前は神か!」

みずきは軽く笑い、気に入った物件のスクリーンショットを撮った。

「もったいなさすぎるよ。お前こそ最高の騎手なのに。バ……男ひとりのために良妻賢母ぶっちゃってさ。もしお前がここにいたら、誰が相手になれるってんだ!」

みずきはふっと笑った。「私、離婚したの」

「え、今回の主催者、結構太っ腹なんだよ。優勝者には桜華苑の高層マンションを無料プレゼントだって。もしお前が……って、ちょっと待て!」

芽依の声が突然止まった。「離婚したって? いつの話だ、本当か、やっぱりやり直すんじゃないのか?」

しかし、みずきは芽依の口から出たあるキーワードを聞き逃さなかった。

「桜華苑の高層マンションをプレゼント?」

みずきはタクシーの運転席の背もたれを軽く叩いた。「住所を送って。今から向かうわ」

タダで手に入る上に、目下の急場もしのげる。

彼女はそれを受け取ることにした。

私有の馬場は郊外にあり、山と水に囲まれた、まさに絶好のロケーションだった。

みずきはスーツケースを引きずって車を降り、周囲を見回したが、芽依の姿は見当たらない。

携帯電話を取り出してメッセージを送ろうとした、その時——黒いスーツを着た男が、彼女の前に立ちはだかった。

「申し訳ございません、お客様。薔薇ヶ丘は、指定会員様のみのご利用となっております」

男はみずきに向かって礼儀正しく微笑んだ。「会員証をご提示いただくか、上級会員様からの特別招待状をお持ちでしたら、ご入場いただけます」

みずきはメッセージを送り終え、顔を上げて言おうとした。「大丈夫、後で友達が……」

「米澤みずき、いい加減にしろ!」

みずきが振り返る間もなく、彼女の手首が、砕けんばかりの力で掴まれた。

「どうりで離婚をあっさり承諾したわけだ。裏で俺の行動をこっそり探っていたとはな!」

駿は、まるでゴミでも見るかのような目で、彼女を睨みつけていた。

この男に心底うんざりしていたはずなのに、みずきは一瞬、胸が締め付けられるのを感じた。

三年の結婚生活がもたらしたものは、尽きることのない嫌悪だけだった。

「俺を追ってここまで来て、一体何の目的だ?」

駿はみずきを見下ろし、彼女の企みを見抜いたとでも言いたげな、得意げな表情を浮かべていた。

次の瞬間、みずきは、その手を思い切り振り払った!

「駿、鏡がなくても自分の顔くらい分かるでしょう。結婚して三年、浮気も三年。そんな汚れた男を、私がいつまでも欲しがるって、どこからそんな自信が湧いてくるわけ?」

みずきは駿に触れられた肩を、まるで汚いものでも付着したかのように払った。

「離婚届にはサインしたわ。これからは会っても知らないふり。それでいい?」

彼女は軽く白い目を向けると、メッセージを確認しようと顔を伏せた。その時、甘ったるい女の声が聞こえてくる。

「ごめんなさいね、米澤さん。駿が私を選んだことで面白くないのは分かるけど、感情は無理に押し付けるものじゃないわ。そんな小細工で駿の気を引こうだなんて、みっともない真似はおやめになったら?」

荻野心春は駿の隣に寄り添い、申し訳なさそうな視線をみずきに向けていた。

みずきが反論する間もなく、続々と到着した賓客たちが、こちらの騒ぎに気づき始めた。

「あら、あれは矢吹社長と奥様じゃない?矢吹社長って、大きなパーティーにはいつも女性同伴で、奥様は連れてこないって話だったのに。 今日はどういう風の吹き回し?」

「よく見てごらんなさいよ。社長の隣に立ってるの、誰だと思う?」

「あれって荻野家の令嬢、荻野心春じゃない? 確か、矢吹社長と何かあったって噂じゃなかった? この様子だと、愛人が正妻に喧嘩を売りに来たってことかしら !」

噂話はどんどん誇張され、心春の顔は引きつった。

彼女はくるりと目を動かすと、突然、傷ついたふりをして、みずきに食ってかかった。

「米澤さん、三年前、あなたは卑劣な手を使って私と駿の仲を引き裂いた。そのせいで、私たちはこんなにも長く離ればなれにされてきたの。あなたはもう充分、何年も駿を独り占めしてきたじゃない。なぜ、まだ私たちを解放してくれないの?」

「どうしても、人の男を奪わなきゃ気が済まないの?そこまで恥知らずになれるものなの?」

続きを読みますか?

読み進めると物語が続きます。

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章一覧

全203章

  1. 第1章チャプター 1 離婚協議書
  2. 第2章チャプター 2 その芝居、もう見飽きた
  3. 第3章チャプター 3 米澤さんは、私の大切な客だ

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